松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区高宮4丁目 八幡宮(高宮八幡宮)


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福岡県神社誌の記載は、以下のとおりほんの数行です。

あまり期待せずに訪問したところ、境内もひろくじつに立派な神社でした。

高宮八幡宮 – 福岡市高宮・平尾・野間三村の氏神、那珂郡の惣鎮守。

社史によると、天智天皇(西暦655~661)の御代に磐瀬(現在の西鉄高宮駅東方に地名が残っている)の行宮に居られた時に、神功皇后の縁の地として此処に神さまをお祀りになったと伝えられております(四王寺山の城や水城が築かれた頃)。
現在のTNCテレビ塔一帯の高いところに創建されたようで、その場所の位置と地形、つまり今の平和台に在った外賓応対の施設と大宰府との連絡道路に面して居り、更に博多湾を望み、大宰府と那珂郡を一望できる軍事上重要な位置をなしていることと時代背景を考えますと、国の外難防御祈願の為に創祀されていることが解ります。
後、寛仁年間(1037年頃)に 岩戸少卿大蔵種直が社殿を造営して武運を祈り代々崇敬しました。また、建久年間(1190年ごろ)原田氏(糸島郡の高祖城主)の時、当神社を高宮の宮の尾に移し、高宮、平尾、野間の三村の氏神、那珂郡の惣鎮守神としたと伝えます。
当宮の寛永年間(西暦1624年頃)の棟札によりますと、本殿は藩主黒田忠之公の寄進されたもので、一の鳥居は長政公の寄進であり、拝殿は家老の加藤司書の寄進とのことです。武運祈願の神社として慶長7年(1602年)に神社を古宮の跡である現在地に遷座し、のちに分霊を平尾村と野間村に勧請して氏神としています。

むかしテレビ西日本(TNC)の社屋と送信塔があった位置を青丸で示しました。

周辺部より一段高い丘です。より広範囲に電波がとどくようテレビ局の電波塔が建設されたくらいですから、戦前、いまのような高層マンションのない時代、見晴らしはとてもよかったものとおもいます。

境内には、複数の境内社があります。画像左側は天満宮、右が埴安社(田の神様、天神社、地禄神)です。

えびすさまと大国さまが複数あります。地域から移設されたものでしょうか?

さらに庚申塔とお地蔵さん、権現さまがありました。

自宅の方向にえびす様と大国さまを向けて来てもらうようにお願いをするそうですが、せっかくなのでにこやかな姿を撮影してみました(たぶん、方角的には自宅にケツを向けることになるな……)。

福岡県神社誌:上巻80頁
[社名(御祭神)]八幡宮(神功皇后、応神天皇、玉依姫命)
[社格]村社
[住所]福岡市大字高宮字ホンナン
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.08.01訪問)