美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

2023年1月23日の日録

「ウィスキーがお好きでしょ?」

2023年1月21日の日録 - 美風庵だより

2023年1月22日の日録 - 美風庵だより

ここ最近、酒の話題がつづいています。久しぶりに飲んでみようかという気になり、ウィスキーを取り出しました。計量カップをどこかにやってしまったので、50mlの目盛りがあるタッパーウェアの線の位置まで、ウィスキーを注ぎます。

今回のウィスキーは江井ヶ嶋酒造さんの「あかし」、アルコール度数40度です。

プリン体を減らすレシピ|高尿酸血症特設サイト|株式会社富士薬品

板かまぼこに含まれるプリン体は26.4mg/100gと、白米に含まれるプリン体と同じ位少ない量です。一般的な魚類の加工品(笹かまぼこ、さつま揚げ、魚肉ソーセージ、つみれ、鳴門巻き、焼きちくわ、はんぺん)に含まれるプリン体は、どれも12.5~67.6mg/100gと少ない量であり、血清尿酸値を気にする方でも心配なく食べられる食材です。

チーズもジャガイモもなかったので、かまぼこを切ってツマミにします。

どれだけお湯で割っても、アルコール量が約20gという値は不変ですから、たっぷりお湯を注いで、ほぼビール並みの度数に下げます。せめて量だけでも稼がないと飲んだ気がしなくなるからなのですが、身体が温まって寝つきがよくなる程度の酒量で、いちにちたったこれだけ?とおもうと、さみしいものです。

かと言って、これ以上お湯や水で薄めてしまうと、匂いだけになっちゃいますしね……。

 

今日の運動経路(秋月藩蔵屋敷跡を歩く)

以前、googleマップなどを見ながら作成した門司方面の訪問予定リストを制覇し、次のリスト作成をがんばらないといけないのですが、どうもやる気がおきません。

やる気が起きないときは、小ネタをつぶすにかぎります。今日は八幡・黒崎方面を3.1㎞、約1時間かけて歩きました。

西小倉駅前から西鉄バスに乗り「陣山」バス停に到着しました。

線路下に、壁一面つかって旧八幡市の歴史が紹介されています。現在の姿からは想像できませんが、むかしはこの一面、けっこうな寒村だったそうです。

官営八幡製鐵所 - Wikipedia

どこまで正しいかはわかりませんが、以前、門司で神社めぐりをしていたさいに声をかけてきた老齢のかたから聞いたのは、官営製鉄所の誘致活動で一歩先んじていたのは門司の大里地区であったとのこと。開港したばかりの門司港が近くほぼ決定かとおもわれていたのを「地元資本から支援された政治家が住民の反対運動をおさえこみ市価の半値で土地売却を決めた」ことで「八幡にひっくり返された」といいます。

ただ地図をみればわかりますが、圧倒的に土地のひろさが違いますから、かりに製鉄所が来ていればほかの工業誘致がどうなっていたか?は未知数です。いずれにしても広い土地が手に入る場所(それこそ遠浅で埋め立て放題だった洞海湾など)に工業の中心は移っていったのではないか?という気がします。

大里(門司)|地域特集|鈴木商店のあゆみ|鈴木商店記念館 (suzukishoten-museum.com)

製鉄所誘致に失敗したのち、大里にはその代わり鈴木商店が進出します。

黒崎播磨の本社前をとおります。私が子供のころは黒崎窯業という耐火煉瓦の会社でしたが、20年ほどまえに他社と合併して社名がかわりました。

googleマップの示すとおり歩いていると、なにやら荒れた公園に誘導されます。

妙見神社に到着しました。詳しくは後日「神社めぐり」で触れたいとおもいます。

次の住吉神社に行くと、同じ境内に伏見稲荷の講社がありました。建物はかなり傷んでおり、使われている気配はありません。講社の建物を囲むように、観音様やお稲荷さん、おそらく奥の院扱いの祠が並んでいます。

建物の背後に気配を感じてのぞきこむと、屋根も壁も傷んだ建物の裏側に、祠が並んでいます。

「教えてくれてありがとう」と声をかけつつ、しゃがみこんで御神狐像をじっくりながめます。

宝珠にしては波打ってるしまさかウンコじゃあるまいな?と思ってよく見ると、どうやらヘビさんに寄りかかっている(体重をかけまくっている)ようです。そもそもこの御神狐像、耳の間に神様らしきものを乗せています。ヘビさんと一緒に、神様の足代わりに各地を駆けるイメージでしょうか。

秋月藩藏屋敷跡

秋月藩蔵屋敷は、福岡藩の支藩秋月藩が領内の年貢を一時集荷・貯蔵した場所です。元禄2年(1689)に芦屋から移されました。

東西四八間(約94m)、南北二〇間(約39m)を福岡藩から借地しました。
ここには米蔵と藩主の別館のほか、海には波止場も設けられました。
蔵屋敷は、藩籍奉還の明治2年(1869)まで機能しました。

北九州市教育委員会

現在、クロネコヤマトの配送センターになっている場所に、むかし秋月藩の蔵屋敷がありました。

よほど間違えて社有地に足を踏み入れるかたが多いのか、太平洋セメントさんをはじめ部外者立ち入り禁止の張り紙が目立ちます。画像で金網の左側は三菱化学、右は太平洋セメントさんの協力会社です。黄色の矢印の道が、黒崎湊跡の記念碑につながっています。

黒崎湊跡 - 北九州市 (kitakyushu.lg.jp)
所在地 舟町7番10号
黒崎湊は小倉湊とともに、九州で2ヶ所の九州と大阪を結ぶ乗合貨客船の発着する湊でした。九州西南諸藩の参勤交代もこの両湊を利用しました。幕末には三条実美(さんじょうさねとみ)ら五卿もこの湊に上陸しました。

秋月藩蔵屋敷跡から100mほどのところにあり、ずいぶん至近の場所を貸してもらえたのだと、あらためて驚きます。元秋月藩領付近に住んでいると、とにかく本藩になんやかやといじめられたという話が多く、相当険悪だったんだろうとおもっていましたから、意外でした(その代わり地代をむしられたのかもしれませんね)。

藤田」バス停から小倉方面にむかうバスに乗り、今日の運動は終了です。

西小倉駅前で下車しないといけないので番号1番のバスに乗車しないといけなかったのですが、うっかり22番に乗車してしまい、遠回りしたうえ平和通りで下車して相当あるかされました。