松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

8月14日の日録

今日のお供え

キツネさんに甘酒とホットケーキミックスでつくった蒸しパンを8つに切って3切れお供えして、のこりをいただきます。いい齢してなんという朝食……。

しかも朝5時半ってのが、もうね……。

今日の運動経路

「山荘通(さんそうどおり)」バス停です。

どこの山荘かというと、そのむかし「平尾山荘」というのがありました。

平尾山荘 | 文化財情報検索 | 福岡市の文化財

郷土出身の幕末の女流歌人として、また維新の先覚者の一人として異彩を放つ野村望東尼(のむらぼうとうに)の閑居地である。
54歳の時、夫を喪い、博多の曹洞宗明光寺住持元亮巨導禅師によって剃髪し、向陵院招月望東禅尼となった。このころから勤王の志を抱き、平野国臣、中村円太、長州の高杉晋作等を庇護した。しかし、徳川幕府体制の維持を図る佐幕派が藩内の勢力を占め、勤王派を一網打尽に処刑するに及んで、慶応元年(1865)10月望東尼も捕えられ、姫島(糸島郡志摩町)に流された。
幽閉11カ月、高杉晋作に救い出されて馬関に移り、さらに三田尻(防府市)に移り、慶応3年(1867)11月、62歳で没した。

このバス停があった辺りは1972年まで「山荘通1丁目」という地名で、このバス停もそこからきているようです。

今回は、初盆参りで福岡市内に出たついでに、その周辺の「神社めぐり」をします。

まず、平尾八幡宮を訪問しました。お賽銭箱のよこでピカチュウが「賽銭箱を壊さないで」と訴えています。賽銭箱を置くのをやめりゃいいのに、ともおもうのですが、そういうわけにもいかないのでしょう。

地元の町内会で管理しているお宮が2回賽銭泥棒に遭い、搬送費込みで50万の賽銭箱を新調したことがあります。「年間のお賽銭が8万なのに50万の賽銭箱買ってどうするんだ」とだいぶ言いましたが、長老の意見は「賽銭箱も買い直せない貧乏町内会だとおもわれたくない。我々の代でなくすわけにはいかない」の一点張りでした。似たような事情があるんでしょうね……。

次の宇賀神社に向かう途中、戸建ての新築現場の前をとおりかかります。若いころ、旭化成のヘーベルと積水のダインコンクリートは、断熱材の量が圧倒的にすくないので寒いからやめたほうがいいとずいぶん言われていましたが、いま、どうなんでしょうね。カタログスペック的には、軽量鉄骨だから寒いという感じでもなさそうですが、あまりジロジロ眺めると泥棒と勘違いされてジョギング中のかたに警察までしょっぴかれる可能性があります。パンフレットを元にもどして早々に逃げました。

宇賀神社の一の鳥居です。

江戸時代まで黒田稲荷とか一本木稲荷と呼ばれていたそうです。「享保の大飢饉」後、藩内体制立て直しのいっかんとして、6代藩主黒田継高公が、村のお稲荷さんを大幅にグレードアップした流れが、案内板に記されていました。

そのため、社紋(神紋)は、藤巴紋だったりします。

そして、最後の清川大黒天をめざします。

清川大黒天です。

googleのクチコミで「ここでお花見をした」とあり、どんなところかとおもっていたら、大黒様の祠のまえに、でかい桜の木がありました。

清川大黒天から歩いて3分ほどのところに、日本でいちばん大きな線香メーカーの福岡営業所があるのですが(そこの前をとおってここにたどり着きました)、大阪の玉初堂さんのお線香ばっかり山積みです。どこの仏壇屋さんが奉仕されているのかな……?

この清川大黒天の付近に、新柳町遊郭という赤線(男性の遊び場)がありました。もとは通り一本さきに、清川ロータリーという、身寄りのない女郎が死んだら放り込んでいた井戸跡と噂の場所(あくまでも「噂」です)があったのですが、さすがに暑いし長居はできません。それにまた痛い目に遭いたくないので、今回は近づきません。

「地球上で2番目に美味い」と称する「のんき屋」というラーメン店は、知人曰く「ラーメンと半チャーハンは食えた」が「辛子高菜をうっかり入れたら辛すぎて無理」とのこと。日記のネタに行ってみたいんですけどねぇ……。勇気がない。

途中の初盆参りをのぞいて、おおよそ1時間、2.5kmの道のりでした。