それはそれで雑談のメモ(3)
きちんと筋道たててまとめる気力がないため、8月15日に知人と行った雑談の記憶にある範囲を記します。裏をとる作業を省いているため内容は保証しません。
なにがどう「仕方がない?」(前)
「今日は終戦の日なんです。どこの政治家が靖国に参拝したとかなんとかまたニュースでやってます」
「ところであんたは靖国神社に行ったことある?おれはない」
「おれも靖国神社はありません。死んだ祖父と曾祖父からくれぐれも釘さされましたんで。あそこは遺族のかたがお参りする場所であって、我々が軽々しく行くところではないって」
「おれも言われた」
「まぁ、むかし公務員やってたときに遺族会の参拝で護国神社に同行したことはあるし、各地区の護国神社とか忠霊塔とか招魂社に出会うことはあるので手を合わせるくらいはしますけどね」
「で、私ね、遺族会のかたの挨拶とか聞いてると、戦争は仕方がなかった、って言い方をするじゃない。子供のころ、まだ小学生だったかな、非常に気になったんです。なにがどう仕方がないのかって言わないから、わかんないんですよ」
「私もそうです。小学校に遺族会のかたかが来て戦争体験語るんですね。ふつうに聞いていればこのひとたちは自らの意思ではなく巻き込まれてるわけです。親御さんは兵隊にとられてお亡くなり、本人は母ちゃんや弟と中卒で頑張りましたって話だったり。でもそれがなぜか「仕方がなかった」なんですね。個人としてみた場合、親御さんもこの遺族のひとも戦争おっぱじめた当時の指導階層から、人生を奪われてるんです。それを「仕方がない」で自分に向かって言い聞かせるのはいい。でも、それをよその子供に向かって言われてもわかるわけないですって。話を聞いていると向けるべき怒りの矛先があるはずなんです。敵国だったり、当時の日本の指導者層だったり。でもそれを「仕方がない」で合理化して悲惨な体験を語って、平和が続いてほしいで〆られても、なにをどう考えたらいいのか?って悩むしかない」
「そう。そしてそれを正直に書くと学校の先生に怒られるんだよね。なにを聞いたんだ、って」
「そう。なぜ親をとられて進学諦めて働く目にあってそれを仕方がないと言われてじゃあどうすりゃいいんだってね。さすがの小学生でもこのくらいわかりますよ。その境遇に追いやった人間が居るのに怒ってなにが悪い馬鹿にしてんのか。この世には神も仏もないのかと職員室で吠えましたもん」
「やっぱり(笑)」
「まぁ、高校のころから占いとかやるようになって思うのは、個人としての運勢で国家や社会の運勢はくつがえらないんですね。御巣鷹山の日航機墜落事故だって、乗り合わせた全員があの日に死ぬ運命だったわけじゃない。何人か週刊誌や本に載ってた生年月日で計算してみたけど、個人としてのエネルギーが尽きる寿命ではないんです。でも、じっさいに人生をあそこで500人が強制終了されてしまった。原爆もそうですね。何万人何十万人、四柱推命で大運計算して同じ時期に尽きていれば、それはそれで大問題になってるはずです。でもそうじゃなかった。
どうやったって個人ではどうにもならないものがあるんです。それはわかります。ただ、どういう立場であれ、ほとんどは権力のある人間が決めたことや、その積み重ねなんです。他人の人生を巻き添えにして。それは個人のレベルでいくら占ってもわかりません。まさか自民党や財界、外国要人、数千人数万人規模で権力層の力量バランスを全員の生年月日もらってきて検討できませんからね」
「なるほどね」
「しょうじきこれが占いの限界です。ただ、指導者とか指導的立場、要は決断する立場のひとの運勢が影響すると習ったので、そうなんだろうと考えてるだけです。
こういうひとがろくでもないと、結果としてろくでもない災厄すら呼び込むと。
なぜなら神は人間を通じて行動します。というか、東洋占術にしてももとはあの中華文明だし、西洋占術にしてもインド発祥だけど発展したのはヨーロッパですから、一神教の影響が大きい。
一神教は神が私にそうさせた、という発想があります。目の前の奴を殺すも生かすも神の思し召し。インマヌエルなんです。私を通じて神は行動されたんです。これは近代以降というか、平田国学とか復古神道、いまの神社本庁教(国家神道)の根底にもあります。あれは多神教のふりをした天皇一神教です。「神宮を本宗と仰ぐ」と神に序列を持ち込んでますね。まさかいまさらほかの神様を全国民の記憶から消せないでしょ。序列を持ち出すしかないわけです。平田国学の流れで聖書批判したくせに、唯一神とそれ以外という骨格を持ってきている。福沢諭吉とか、脱亜入欧を目指すならキリスト国家になろうとやった。そうなったら復古神道の連中は居場所がなくなるから政治力フル動員して必死に再構築していきます。その結果、あの天皇一神教が出来たわけです。神は天皇(国王)を通じて行動され、天皇(国王)に選ばれた者はその限りにおいて神の意思を代行する。王権神授説パクってここをキリスト教から持ってきてるんです。いわゆる教派神道と比べてみてください。こいつらの異質さがわかります。この王権神授説パクり部分が、刷り込まれちゃってるんですね。それは神の思し召しだから責任は取らなくてよい。決定者は決定の責任を負わないという、責めても仕方ない相手への諦めなんです」
「集団無責任体制の根源だよね。これを山本七平さんが「空気」と呼んだわけです。
天皇無答責と集団無責任体制の完成は、いまも神社本庁教がありがたがる「教育勅語」あたりです。あれが1890年なので、明治になって20年以上かかってる。それまでガチャガチャいろいろやって、やっとこ彼らの言う「神国日本」が姿を現した。むかしからの歴史を背負ってるみたいな言い方すぐするから騙されるけど、歴史は短い。教派神道の主だったものは、もうこの時点で布教はじめてます」
「あと、同じ福岡県内でも水利の神様として招いているお宮さんがわかれている話をしてたでしょ」
「筑豊で英彦山権現の影響がつよかったエリアは、英彦山がタイアップしていた貴船神社を雨乞いの神様として大々的に連れてきてます。山伏さんが地元の代表に京都まで同行して手取り足取り、ほぼツアコンですね。そして各地に迎え入れています。
これが筑後川沿いになると、宮地嶽神社ばっかりになります。村同士の水利争いに勝つため、勝盛(=神功皇后)、勝村、勝頼の「宮地嶽三社大明神」を、勝利の神様としてお迎えするわけです」
「こういう村同士の水利争いで頭カチ割るような紛争をやっていたというのは、ある意味構図としては判りやすいわけです。村のみんなのために戦ってくれたという理解がしやすい。
ところが、もっと規模がでかくなっていって、とくに近代戦になってくると本当にそうか?とは言えなくなる」
25日の記録。
今日は用件があって小倉の知人事務所に向かいました。
いつも停めさせてもらっている駐車場が決済システム入れ替えによるリニューアル工事中なので、JR日田彦山線呼野駅から、列車を利用します。
JR小倉駅に着いたら、松屋で朝昼兼用でカルビ焼肉定食をいただきました。
小倉から20時過ぎに帰着しました。着たものを洗濯してシャワーを浴びて寝ようと思い、なにげにベランダをみたら鉢植えが片っ端からコケています。
神棚のキツネに「洗濯機まわしてシャワー浴びて寝るだけだと思って帰ってくればこういういたづらをしおって( 一一)きさん留守番すらろくにできんのか」とひとこと文句を言ってからベランダを片づけます。ここ最近、帰宅して鉢の重さで乾き具合を判断して水やりをするだけだったのですが、コケた鉢植えを元の位置に戻すさい、よくよく眺めてみるとこの暑さであちこち傷んでいます。熱風にさらされて葉や枝が傷み、場所によっては枯れてしまっていました。もしかすると(ちゃんと面倒見らんかあほんだら)と思っての所業かもしれません。
いつも同じシャツとパンツを3枚用意して、洗濯してローテーションで着ています。だいぶ傷んできたので小倉から戻るさい、モンベル小倉店で新しいパンツとシャツを購入しました。そのさい、ベルトにとおして使うウェストポーチを見つけたのでいっしょに一つ買い求めます。
ワイシャツの胸ポケットにiPhoneやらなにやらなんでも突っ込んでパンパンにしていましたから、これで少しは見栄えが良くなるでしょう……たぶん。