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福岡市立曰佐小学校(おさしょうがっこう)が隣にあります。訪問した日、校庭で遊んでいた児童のみなさんが、金網ごしにこちらをながめていました。
谷 豊(たに ゆたか、1911年〈明治44年〉11月6日 - 1942年〈昭和17年〉3月17日)は、昭和初期にマレー半島で活動した盗賊。福岡県筑紫郡曰佐村五十川(現在の福岡県福岡市南区五十川)出身で、イギリス領マレーに渡った後に盗賊となり「ハリマオ」として一躍知られる存在となった。
「教育は日本で受けさせたい」という父の意向もあり、学齢期にはいったん帰国(祖父母の家に滞在)し、曰佐村立曰佐尋常小学校に入学して1926年3月に卒業。
曰佐小学校って、ハリマオの出身校なんですね。知らなかった……。
いや、ハリマオが福岡のひとってのも知りませんでした。
寶満神社
鎮座地
福岡市南区横手三丁目四十一番御祭神
玉依姫命 応神天皇 神功皇后霊験
縁結び(親子の縁、夫婦の縁、友達の縁、仕事の縁など)安産、雨乞い、方除け、交通・航海安全由緒
古来、横手では、産土神を祭っていました。江戸時代中期頃、筑紫国惣鎮守寶満宮竃門神社の御祭神玉依姫命を勧請して祀りました。玉依姫命は神武天皇の御母君で、四柱の御子の教養と、建国の大業に心をくだかれ竃門神社(寶満山)にお登りになり、祈念されました。寶満山は、神の山と崇められ、玉依姫命の御慈愛は永久に国を潤し、国民をはぐくみ育てておられます。
社殿正面向かって左側に、お宮があります。福岡県神社誌の若宮神社でしょうか。
ただ、豊玉彦の子 豊玉姫 と 饒速日命(山幸彦、猿田彦、五十猛命)の子が 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)で、鵜葺草葺不合命と玉依姫の子が安曇磯良ですから、「若宮」と言いながら、世代が逆転します。
おそらく、ほんらいの御祭神は違うのでしょう。
案内板に、宝満神社にあとから上書きした旨が示されており、この若宮は、消された産土神を指しているのかもしれません。
拝殿は新調されていますが、一部にふるい梁が残り、むかしから受け継いだ絵馬や方位盤も、そのまま残されています。
福岡県神社誌:中巻53頁
[社名(御祭神)]宝満宮(玉依姫命、応神天皇、神功皇后)
[社格]村社
[住所]筑紫郡曰佐村大字横手字宮ノ後
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]若宮神社(豊玉姫命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.07.20訪問)