どういういたずらメールなのだろう?
先日からこういう迷惑メールがひんぱんに入ってきます。
誰だ小倉って?誰だ佐々木って?とかんがえておもいあたる節がなく、似たような文面が複数着信するようになってから、どうやら迷惑メールだときづいた次第。
すでに迷惑メールの設定をしているので、アプリが迷惑メールフォルダに仕分けてくれてはいるのですが、これ、どういう意図があってやっているのかも、よくわかりません。
今日の運動経路
土日、久しぶりにほぼ在宅していました。完全休日だったからですが、こうも暑くなると、休みの日に身体を動かす気力がありません。
20日、昼から福岡市内の現場でした。11時に到着すればよいので、朝、5時50分の博多駅行の路線バス始発に乗車し、海の中道・志賀島方面の「神社めぐり」に行きました。
呉服町の知人事務所に立ち寄り仕事の荷物を置いて、コーヒー勝手につくって呑んで、ひとつ隣の「蔵本」バス停まで歩きます。
ここから、志賀島小学校行きのバスに乗ります。
土地勘のない土地をウロウロするときは、(1)土地勘があるところまで車で行き、そこから自転車で走るか、(2)自転車をかついで電車に乗るか、(3)路線バスを利用して歩くか、いずれかを選択します。カーナビ利用して走ると路地や集落の雰囲気を見逃すことが多く、あまりよくありません。
「志賀島」バス停で下車すると、一の鳥居は目の前です。
途中、事前にゼンリンやgoogleマップで見つけておいたお稲荷さんやえびす様を訪問しつつ、志賀海神社にむかいます。
ここもネコさんが多い地域です。
♪お魚くわえたドラネコ 追っかけて
♪はだしでかけてく 陽気なサ*エさん
じゃありませんが、同系統の体色をしたおっきいネコとちいさいネコが、走って競争していたりします。親子かな?
画像のネコは、漁港の駐車場でのんびり寝ていました。周囲が走り回っているのによくじっとしてられるなぁ……(大物?)。
googleマップに志賀町護国神社とあり、急坂を登っていくと、立派なお宮があります。
その脇に石碑があり、日清・日露戦争以降にお亡くなりになられたかたが、死没地ごとに銘板に刻まれていました。年齢はほとんど20代です。
二歩ほどさがって、手をあわせます。
ときどき、こうやって手ぶらで来て申し訳ないとおもえる場所に出くわすことがあります。また来ることを申し上げて、その場を立ち去ります。
志賀島は一周約10kmだそうで、暑い時期は無理ですが、寒く(すずしく)なったら、今回訪問しきれなかった場所(北部の勝馬地区や西部の弘地区)をめぐる予定です。
正面参道は石段がきついので、志賀海神社に車道側からお邪魔しました。
ちょうど朝9時、神職のかたが祝詞をあげて奉仕されていました。
全国の綿津見神社、海神社の総本社を称する。龍の都と称えられ、古代氏族の阿曇氏(安曇氏)ゆかり地として知られる。
(略)
祭神は、次のように左・中・右殿に主祭神が各1柱、相殿神が各1柱が祀られている。主祭神の3柱は「綿津見三神(わたつみさんしん)」と総称される。
左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
左殿相殿:神功皇后(じんぐうこうごう)
中殿:底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)
右殿:表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
右殿相殿:応神天皇(おうじんてんのう)
みてのとおり、千木がありません。
玉垂宮神秘書をひらくと、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)の子は二女三男、二女が表津少童(綿津見)神、仲津少童(綿津見)神とあります。嫡男「(高良山)大祝の先祖」は安曇磯良と別ページにあり、彼が底津少童(綿津見)神です。
志賀海神社は、安曇磯良を中央に、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)の子3人を祀るお宮です。
境内から海の向こうの福岡市街をながめつつ、汗がひくのを待ちます。
途中、まったくトイレをみた記憶がありません。
おしっこに行きたくなり、市営渡船の待合所でトイレをかりました。
あのたいらな山はなんだと方角をみると、能古島でした。能古島も数社ほど神社があり、いずれ渡って訪問したいとかんがえています。
今日はGPSログで約2.6km、1時間の道のりでした。
明日も12時に福岡市内の現場です。起床できたら、今日訪問できなかったところを訪問したいとおもいます。
雨が降りそうだったら、やめます。