美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

2月16日の日録

日録。

15日は、パソコンの設定作業で午前様でした。16日は、午後から帰ってよいという話になったので、福岡市呉服町の知人事務所で4月からのメシ代をどうするか考えることにしました。

ついでに、個人事務所の税金の話と、社会保険をどうするかの話をします。

休業中で無報酬のため協会けんぽもなにもかもやめていますが、拠るところがなければ、これを復活させるしかありませんしね……。いやだなぁ……。

打ち合わせ終了後、ながねんお世話になったかたの事業所に挨拶まわりをして、それから「神社めぐり」をしました。

とりあえず眠いので寝ます。お休みなさいませ。

今日の運動経路

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今回は、福岡県庁周辺で5社訪問しました。

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「松原水」です。ただの古井戸ではありません。

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明治初期、まだ井戸水を利用していたころ、博多部の井戸は水質に恵まれず、そのため飲料水は当時の那珂郡千代村一帯(現在の博多区千代付近)に続く松林(千代松原)の砂地から汲む井戸水を運んでまかなわれていた。これも次第に建て込む人家の家庭汚水で利用できなくなってきた。そこで明治29(1896)年福岡市は、飲料水確保のため千代村堅粕(現在の博多区東公園)の東公園内の国有地約1アールを年間1円8銭で借り受け、工費50円で市設の井戸を掘った。これが「松原水」の起こりである。

明治34(1901)年には、福岡市による「市設井戸取締規程」が定められている。井戸には看守を置く事、汲む者は給水許可証を携帯すること、料金は1石(180リットル)に10銭宛などと細かく規定して本格的に管理された。

このようにして、業者も水桶12個積んだ大八車をガラガラ引いて、戸別に配達したため、上水道通水(大正12年)まで、松原水売りは博多の風物詩であった

なお、明治33(1900)年皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が来福の際、飲料水として使われ、記念の石碑が傍に建っている。

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崇福寺 (福岡市) - Wikipedia

崇福寺(そうふくじ)は、福岡県福岡市博多区にある臨済宗大徳寺派の寺院。同派三道場の一つ。九州触頭。当初は大宰府にあったが、黒田長政が筑前の藩主になると、現在の千代町に移転させた。福岡藩主黒田家の菩提寺。かつての伽藍は海岸まで続き広大な寺域を誇ったが、福岡大空襲により灰燼に帰した。

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今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

ざっと大正時代の地図と比較してもこの違いですから、むかしは相当なものだったことがわかります。

かつて福岡城の本丸表御門であったものを、1918年(大正7年)に陸軍により払い下げられ、崇福寺境内に移築された。二層造で本瓦葺の切妻造。

なお、画像に写っている山門は、もともとお城の表門だそうです。以前からとおるたび立派だとはおもっていましたが、まさかお城の門とは知りませんでした。

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今回の訪問先でいちばん有名なのは、間違いなく十日恵比須神社でしょう。

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JR吉塚駅からJRで自宅に戻りました。