松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

大分県日田市庄手 日の隈神社


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亀山公園 (日田市) - Wikipedia

元治元年(1864年)に、後漢時代の銅梁作細線式獣帯鏡が出土した古墳跡(日隈1号墳)でもあり、安土桃山時代には日隈城が築かれていた。
(略)
近世には祇園社があったが、宝永3年(1706年)に隈・寺町に遷座した。
太平洋戦争終結直後までは、日田県初代知事を務めた松方正義を祀った松方神社が山頂の南東にあったが、太平洋戦争で日本が敗戦した後、GHQの命令によって撤去され、建物などは撤去移築された。
現在、山頂には日隈神社があり、後醍醐天皇、楠木正成、春日大明神の3柱を祀り、拝殿には大久保利通が書いた「龜翁山」、西郷隆盛の書いた「日隈神社」の扁額がある。
(略)
近世に日隈城が築かれる以前は曹洞宗龜翁山真光寺があった丘で、その名龜翁山(きおうざん)を縮め、読みを“キザン”と呼ぶようになったという。
(略)
亀山公園は、元は「日ノ隈山・日隈山(ひのくまさん)」といい、

隈の字が地名に残るところは、まず妙見信仰や大幡主に率いられた熊襲の拠点か、玉垂命の一族の拠点と考えてよく、最初、この地域はそのようなものであったと考えてよいでしょう。そこに春日大明神、つまり天之忍穂耳(=天児屋根命)が祀られているということは、英彦山の支配下に入ったことを示しています。

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楠公や後醍醐天皇を祀るほか、松方神社があったというのも、興味深いものがあります。天領日田は、どうやら明治維新で徹底して新政府側ににらまれ、とにかく新政府がよろこぶ施策をとっていたようなのです。

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参道途中にお稲荷さんがありました。日田市中心部は商人町だったためか、とにかくお稲荷さんが目につきます。鳥居のずいぶんと上に石祠が乗っており、なかなか面白い配置です。

(2021.06.12訪問)