高良山に登る(067)
「いつかお百度参り達成を目指そう 高良山登山第67回」です。
正月三が日、少しでも人ごみをさける経路を選択します。
元旦に大学稲荷さんで、神棚のお札を拝受しました。2年間ずっといれっぱなしだった古いお札を返しにまず、大学稲荷さんにお参りします。
つづいて鎮香丸稲荷さんに向かいます。途中、社務所と看板のあるぼろぼろの廃屋の前に、弁天様やお大師様が祀られていますので、手をあわせます。あとになって最近毎日線香とライターを持参しているのだから線香をたけばよかったと気がつきましたが、次回からそうすることにしましょう。
いつも石段の途中から引いて撮影していましたので、たまには鎮香丸稲荷さんを広角で撮影してみました。
人ごみを避けるため高良山林道で奥宮に向かいます。
湧水と水神様が見えてきました。
ベンチで休憩します。今日は黄金糖をおともに持参しました。
ほかは雨量におうじて水量が変わるのに、ここだけはいつも水があります。不思議です。
長崎県と佐賀県のあいだにある多良岳一帯をのぞむことができます。
さきを急ぐので、ひさしぶりに奥宮までのショートカットを歩きます。
奥宮が見えてきました。元旦にくらべると参拝者の数も少なく、すこし待っていれば奥宮に来た証拠画像を撮ることができました。
奥宮と境内の祠あわせて3カ所で、炭に火をつけて沈香の刻みと、線香をお供えします。元旦はのんびりしていると後ろから割り込まれましたが、さすがに3日になると行儀の悪いひとはいません。
奥宮から高良大社にやってきました。どこを向けても誰かいるので、なかなか撮影ポイントを探すのに苦労します。
元旦と同じ場所で、神籠石に座って豚バラ串を昼食にいただきます。
後ろからがさごそと音がするのでこんな真昼間から鹿でもいるのか?と思ってよく見ると、人間でした。山中で木につかまりながらスクワットをしています。すごいところで運動してますね。そういえば木に登って懸垂しているひとも居ましたしね……。どうなってるのでしょうか?
高良内コースでいったん林道に出ます。
12月30日の「高良山に登る」第65回で、歩くのを断念した道があるという話を書きました。今回、その道に再挑戦してみることにします。
間伐作業にいまも使われていると思われる辺りまでは、ふつうに歩けるのですがこの先はどうなるでしょうか。
落ち葉が片づけられており、もとの階段が姿をあらわしています。これなら歩けそうです。
なんとかここも歩けます。
分岐点までたどり着きました。落ち葉を片づければ、どこが道かまだなんとか視認できたわけで「こんなもん歩けるか」は言い過ぎでした。反省して謝罪させていただきます。
いまから30年ほど前になにかの補助金で整備してそれ以降荒れっぱなしになっています。宝くじで100,000,000円当たってそれを全額寄付したとしても、たぶん、山中の遊歩道や登山道の作りなおしには足りないでしょう。福岡第6区から優秀な政治家さんが出ているのですから、100億円くらいどーんと山中の環境整備にカネをむしり盗ってきてくれないものですかね……。
今日は7.7km歩きました。
3日の記録。
起床して1階の郵便受けを確認しに行くと、町内会の議題に関してのメモが入っていました。町内会で管理している(厳密には町内会役員=宗教法人役員として登記されている)神社の件です。1931(昭和6)年築の拝殿と社務所に毎年40万ほど修繕費がかかるようになっており、積立を食いつぶすまえに解体してはどうかという提案があります。この提案に対する意見招請です。
提案は本殿の渡り部分でちょん切って屋根をもうけ、拝殿と社務所だけ撤去するというものです。別表のような気合の入ったところならともかく、一般の無格社クラスだと本殿がいちばん装飾が多く神社建築でカネをかけるところですから、ここが壊れたらちゃんと神社建築が扱える時給の高い大工を連れてこないといけません。カネがなくて維持できなくなっているのですから、いちばんカネがかかる部分に手を付けないのは、おかしな話です。
それに建物に囲まれているから風雨の直撃を免れているのであって、周囲の建物がなくなれば、本殿を直撃します。南側の民家にぶち当たっても地元民なので修理代ですみますが、東に破片が飛んで市道を歩いている人に当たれば保険金で足らないかもしれません。
「石材店に探してもらえば石やコンクリート製の祠を探してもらえるから、社殿もこのさい取り替えてはどうか。ご神体の菅公像は目測でたぶん30cmくらい。サイズをはかって伝えればその内寸で収まるものを探してくれる」とメモを書いて、投げ込んだかたの郵便受けにいれておきました。
お宮を建て替えた当時は商業の中心地でありいまマンションが建っている場所にも芝居小屋があったそうですから、給与生活者と年金生活者だらけのいまとは大違いだったわけです。
news.ntv.co.jp新年の玄関に郷土色 地域でさまざま「しめ飾り」 | 気になる! サーチ | 福岡ふかぼりメディア ささっとー
実家にいたころ、祖父が年末の小遣い稼ぎに注連飾りをつくって青果市場に出品していました。基本は鶴丸でしたが、「博多じめ」や「三本垂らし」がよいという注文には別注で応じていました。逆に言うと、正月にどういう注連縄をかけたがるかで、先祖はどこからやってきた家かがわかるわけです。
福岡県と言いますが、もとは筑前、筑後、豊前だったわけで、中心地から周辺に文化が伝播する拠点が3つあったのだから、その地域で主流の注連飾りが違うのも当然と言えば当然なのですけどね……。