美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

大牟田市岬地区の玉垂宮巡り(2)

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「福岡県神社誌」によれば、神功皇后三韓征伐から凱旋したときこの地に着船し、武内宿禰に命じて行宮(仮設の住屋)を作らせたところ夜となったので「黒崎村」と称したという言い伝えがあるそうです。とにかく神功皇后伝承はどこまでほんとうなのかよくわからない話が多いもので、前半のここが帰着した場所という点は信用しても良い気もしますが、後半の村の名前の由来は……誰がやっても1日で宿営できるわけないと思うのですが。

この玉垂神社は、むかし高良大社(高良玉垂宮)の三大末社と呼ばれていたという話もあります。残る二つは大善寺玉垂宮と風浪宮です。ただ、大善寺玉垂宮や風浪宮でそんな話は聞いたことがありませんから、地元のかたのPRのいっかんという気もしなくもありません。

御祭神は、まず武内宿禰を産神として祀り、住吉大神神功皇后と武磐建神(たけいわたつのかみ・阿蘇大明神)と応神天皇を合祀しています。高良大社にも大善寺玉垂宮にも出てこないのは阿蘇大明神ですが、おそらくは後年、宇佐神宮とのからみで追加されたものだと思います。宇佐神宮の上宮は応神天皇神功皇后(と比売神)が祀られています。その上宮の楼門を守るのが高良大明神と阿蘇大明神です。玉垂宮神秘書にも記載のあるとおり、(おそらく8世紀に)高良玉垂宮は宇佐神宮に九州宗廟の地位を明け渡していることと、関係があるのでしょう。天正年間(1573-1593)に火事で焼け、社殿を再建したという記述も神社誌にありますから、阿蘇大明神の追加は、そのときの宇佐神宮と高良玉垂宮の力関係を反映しているのかもしれません。

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玉垂神社を出て公園に戻ると、公衆トイレ兼用の展望台がありました。

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干拓地の向こうに、海と雲仙岳が見えます。

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おぼろげに見える雲仙岳の姿は、先日の旧瀬高町河内地区の玉垂神社でも見られたものです。

赤貧はまったく船や海のことについて知りません。展望台で雲仙岳を眺めながら疑問がうかびます。三韓征伐で向かった先は、朝鮮半島です。いくら筑後川筑後平野が拠点の勢力だったとはいえ、朝鮮半島なら唐津から出航したほうが良いような気もします。関釜フェリーは、下関発着です。有明海発着だなんてなにか間違っているのではないか?

海を眺めながら赤貧の足らない脳味噌で考えたのは、海流の存在です。いまの船であれば、重油を燃やして動力でどうとでも走れます。むかしは、海流と風の力だけが頼りだったはずで、そうなると対馬→朝鮮に渡りやすいコースは、このコースだったのではないか、ということです。このあたりは赤貧よりもずっと海に詳しいひとに尋ねるよりほかありませんが、何故有明海出発・帰着なのか?という疑問は、いずれ解決せねばなりません。

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さいごに、古墳を登って頂上にある石仏や観音堂で手をあわせました。

約100mの前方後円墳を作ってもらえるような大人物ですから、どれほどのかたがこの下に眠っているのでしょうか。

(つづく)