美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

大牟田市岬地区の玉垂宮巡り(3・終)

goo.glひきつづき、同じ大牟田市岬地区にある高良宮神社を訪れました。

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玉垂神社は木々が生い茂っていなければ海が見える位置にありましたが、同じ岬地区といってもこちらはだいぶ遠景がことなります。

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国土地理院のHPから地形図を拝借して加工してみました。黄色の丸が玉垂神社と高良宮神社です。いずれも海抜の低い土地と丘の境目に建てられているのがわかります。おそらく、ここもむかしは海辺だったのではないでしょうか。

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こちらも楼門があります。注連縄は片方は鉄柱、もう片方は楠に支えられているのですが、この樟の根っこをみて驚きました。ふたつの楠がからみあって一本になったかのような格好をしています。どうなっているのでしょう?

ここの注連縄は、さきほどの玉垂神社と違い、ちゃんとてるてる坊主のような房がついています。県南の神社に行くとこのタイプの注連縄に出くわすのですが、これが神仏習合の名残なのか、九州王朝を支えた民族文化の名残なのかは、さだかではありません。

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楼門の中に納められている伴神像には、高良大社で見かける木瓜紋があります。

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一段高いところに社殿があります。拝殿、幣殿、本殿のつくりになっており、千木はありません。御神紋らしきものは見当たりませんが強いていえば瓦に「高」の文字があります。

福岡県神社誌では、1575年(天正3年)の創建とされています。つまり、玉垂神社が大火で焼けた時期とほぼかぶるわけで、もしかすると一時避難の意味で建てられた神社かもしれません。御祭神は、武内宿禰、武磐建命(阿蘇大明神)、住吉大神となっています。神功皇后の名はありません。着船地の伝承が受け継がれなかったのか……。

しかしこちらにも阿蘇大明神が居ます。

赤貧がむかしから大好きな神社のひとつに旧玄海町鐘崎地区の織幡宮があります。ここの伝承で、三韓征伐の際、武内宿禰阿蘇津彦の軍勢を指図したとありますから、九州王朝とは、筑紫君(水沼君)と熊襲の合同軍であったという示唆かもしれません。

そう考えると、九州王朝を乗っ取った宇佐神宮で、玉垂命と阿蘇大明神を楼門の伴神扱いしているのは、あからさまな権力の誇示でもあるとわかります。