松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年8月31日(土)の日録。

だるいのに雑談のメモ(5)

きちんと筋道たててまとめる気力がないため、8月17日に知人と行った雑談の記憶にある範囲を記します。裏をとる作業を省いているため内容は保証しません。

知らない世界を無理やり話してみた(中)

「高校のころだったか、大学生になってたか覚えていないんですが、エトムント・フッサールを勧められたんです。いきなり「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」とか読んでもちんぷんかんぷんだろうからって「ブリタニカ草稿」とか、あとは入門書を何冊か読んでこい、とやられた。
するとね、既視感があるんです。
なんや似たような話があったな……ああ「色即是空 空即是色」だ。阿頼耶識直観です」

「どこが似てるのやら(笑)」

「例えばそのテーブルに饅頭があります。あなたから見てもあのお菓子は、饅頭に見えると思います。それは我々の周囲があのお菓子を饅頭と呼ぶのを見聞きして、じっさい食べてみて、経験を積んでいったから、あれを饅頭と認識するわけです。外国から来たひとにいきなり見せても饅頭と認識はしません。知らないから。その国に似たようなお菓子があれば、その名前で呼ぶことはあるかもしれない。もしかすると、まったく知らなければお菓子なのかどうかもわからないでしょう。
これ、お互いの認識があってるから饅頭で通じるんです。
形を見て、大きさを見て、匂いを嗅いだら焼けた皮のいい匂いがするとか、酒饅頭なら酒粕の甘い匂いがするとか、様々な条件、それが「因果」となって私たちは「饅頭」と呼びます。これは、たまたま知識と世界を共有しているからわかるわけで、もし饅頭を知らない外国人を連れてきたら、成立しません。
かりに酒粕の甘い匂いがしても甘酒ではないし、皮から香ばしい香りがしても丸ぼうろではないんです。ほかの条件が違います。饅頭は飲みものではないし、丸ぼうろは真ん中にアンコが入ってない。また、似ていても饅頭とメロンパンは違います。私たちは物を見て、香りをかいで、手に持って、これは饅頭とか蒸しパンとかメロンパンとか、区別します。これ、極論すると物体があるかどうかも関係ないんです。どう私たちが認識したかだから。だから絵に描いても写真でも饅頭は饅頭に見えるでしょ?絵や写真を見ただけで味や匂いが想像できちゃう。ヨダレ出ますね。私たちにとっては絵の饅頭も本物なんです。これを「唯識」って言うわけです。
仏教をみんな宗教とか言ってるけど、認識論なんです。まるっきり哲学です。そして心理学でもあります。あれ、学問なんです」

「そして、もう一つのキモがいわゆる輪廻転生」

「六道輪廻で、過去の罪をつぐなうためにこの世のどこかに生まれてくるわけです。過去のやらかしをつぐなうことが出来れば、もうこの世に生まれてくることはありません。涅槃に行きます。永遠の死で迎えられます。この世は罪をつぐないに来るところだから、誰もが苦しいんです」

「これが啓典宗教だと違う。罪を「原罪」というけれど、なにかと言えば神との約束を破ったことなんです。一神教では人間は神のペットで、ほんらい指図されたこと以外はやっちゃいけないわけです。神がダメと言ったことをやった。アダムとイブですね。失楽園です。
ここで重要なのは、神がダメと言ったことをやったら罪という部分です。何がダメかははっきりしています。モーセの十戒です。この考え方は現在まで受け継がれています。刑法で言う罪刑法定主義というやつです。「泥棒したら懲役」と刑法に書いてあるから、罪なんです。何をしたらダメかをきちんと明示する。こういう一神教の発想がわからないと、資本主義も民主主義もわからないんです。本当は。どうやったって一神教をかじっておかないと、なぜこのルールが出来たか、わからなくなる」

「仏教はそういう罪のとらえかたをしません。そして多かれ少なかれつぐなうべき罪を背負っているから、この世のどこかに居るわけです。これは、仏も人間もいっしょ。
一神教では、仏もまた罪を背負うなんてあり得ないわけです。神はすべてを創造し、全知全能で、わがままやりたい放題。人間も動物もすべて下僕で意見なんぞするムカつくやつはぶっ殺していい。すべて主がルールを決める。これが、国王や天皇は神聖不可侵で無答責の原型です。
私たちから見ると仏は救ってくれる側です。だから罪を背負っているとは考えにくい。でも下々を救うことで彼らもまた罪を償うためにこの世にやってきている」

 

鉢植えをもとに戻す。

鉢植えを室内に取り込みっぱなしでした。もう吹き返しも来ないでしょうからベランダに並べ直します。

これまで日照をかせごうと道路側に並べていたのですが、南風で倒れやすいため室内側にすのことブロックを組んで並べ直します。ついでに気になる徒長枝も剪定ばさみで切っておきました。

 

とうとう駅前のイオン系列のお店から米が半分消えた。

地元でそこそこ大手の某卸で「過剰在庫抱えたくないので6月くらいからスポット購入でしのいでいる(某ディスカウントストア)、(某ドラッグストア)とかなら店頭から米が消えて当然だが、イオン系列みたいに国内最大手と年間契約しているところから消えたらやばい」と言われていました。

とうとう、「1家族1袋」の貼り紙とともに、駅前のイオン系列のお店から半分お米が消えました。

いちおう無洗米はまだ売っているのでこれ以上買いだめするつもりはありませんが(をい)、大手チェーンが年間契約枠を放出せず握りっぱなしで新米シーズンに突入という事態に驚いています。

https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/ohanasi01/attach/img/01-11-5.png

その9:小麦の自給率:農林水産省

ただ、私よりあれこれ話を聞いている知人と話していると、このグラフが今回の事態を理解するヒントだそうです。

世のなかはむつかしい。

 

高良山に登る(040)

「いつかお百度参り達成を目指そう 高良山登山第40回」です。

台風一過、雨もやんだので予定どおり高良山登山に向かいます。

生活費がどん底で苦しいのですが、土日のパンチャー作業で小遣い稼ぎを諦めました。まぁ、カネがなくなれば私のような人生の落伍者は死ぬだけのことですしね……。それが日銭で数日伸びたところで、社会になにも問題はありません。

今回も方位術を確認します。60刻1局だと「丁丙:嫦娥奔月」、10刻1局だと「丙辛:日月相会+丙奇得使」です。

后羿の妻である嫦娥が西王母から貰った不老不死の霊薬(または天上界へ行ける霊薬)を飲み1人月へ昇り月宮(広寒宮)で寂しく暮らすことになったという中秋節の故事である。

嫦娥奔月 - Wikipedia

「丁丙:嫦娥奔月」の解釈はテキストでわかれます。

不老不死の薬を手に入れるという幸運を重視し吉運とするテキストもありますし、その薬をくれた仙人と夫をだまして一人占めし、最後は月でヒキガエルとして孤独に暮らす罰が当たったという点を重視する占い師は、凶とします。

ほかの要素は悪くないので凶が当たってもマイルドでしょうから、どのくらい幸運→絶望に追い込まれるか、我が身で試してみることにします。

やりうどん 久留米店 - 西鉄久留米/うどん | 食べログ

電車で西鉄久留米駅に向かい、1階バス乗り場のうどん屋さんで海老天丼+小うどんをいただきます。朝昼兼用です。

今日も暑いので、さくっと登り下りできる経路を選びます。

後谷登山口で、道中の安全をねがい猿田彦さんに手を合わせます。

台風一過のおかげなのか、8月31日という時節柄なのか、気温は暑いものの、横を流れる川から冷気が漂ってきます。少しずつ涼しくなっていくのでしょうか。とはいえ、雨が降ったあとで湿気がすごく、汗が垂れてしかたがありません。

途中、ベンチに座って休憩し、汗が引くのを待ちます。

つつじ公園の売店&休憩所に来ると、今日も猫がへばりきってごろ寝していました。盆前に比べればだいぶ涼しくなった気もするし、明日で9月なのにまだこれ?という気もするし……。

風をもとめて東屋に移動してきました。お賽銭用の小銭つくりのため売店の自販機で買ったゼロコーラと、持参したココアビスケットで休憩します。

今日は甘木方面、古処山地と英彦山がよく見えます。

奥宮にお参りします。手を合わせていると、背後から数人参拝者がやってきました。

奥宮コースを歩き、下向坂に向かう坂を下りていきます。

下向坂(江戸時代に付け替えられる前の参道)に合流します。

台風の影響でいろいろあったようで、大工さんと神職さんが脚立にあがりあれこれ作業をされておられました。邪魔してもよくないため、出口側からはいって拝殿で手を合わせお参りします。

高良山茶屋 望郷亭 - 御井/うどん | 食べログ

今日も高良山茶屋に立ち寄ります。とてもうどんやお稲荷さんを食う気力はないので、イチゴのかき氷300円をいただきます。

ここで路線バスの時刻を確認し、どの方向に向かって下山するかを考えます。

今回は、ひさしぶりに本参道を下ることにしました。

この日記では本参道がほとんど出てきません。

巨石の露頭とその隙間に石を埋め込んだ非常に登りにくいつくりのためです。いまでこそモンベルさんの登山靴を履いているのでコケる心配はありませんが、学生のころは普通のジョギングシューズでしたから、雨や雪が降る日はすべって大変でした。

これを草履とか下駄でほんとうに昔のひとは登ってたんだろうか……?といつも不思議に思います。

逆に見上げるように撮影したほうが、石のデカさと、石を削りほかの石をはめこんでつくった石段というなかなか珍しい光景がわかると思います。

なお、玉垂宮神秘書ではこの巨石を「神籠石」としています。いま、史跡神籠石に指定されているのは神社を取り囲む列石のほうですが、じつは違うのです。

二の鳥居まで下りてきました。西鉄久留米駅に行く路線バスは御井町バス停が15時5分発で、どう歩いても余裕で間に合います。ここからバス停までは、のんびり歩きました。

今回は約6km歩きました。