松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

久留米市安武町安武本 安武八幡神社


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いちばん手前にある鳥居の扁額は「八幡宮」です。

ところが二の鳥居、三の鳥居の扁額は「天満宮」なのです。

安武八幡宮神社由緒

御祭神 
応仁天皇、菅原道真公、筒男命、天児屋根命、経津主命

寛正年間(1460年)、安武村武島字大島に天満宮御分霊を勧請し奉斎する。
その後、文正年間(1466年)に博多の住吉神社、奈良の春日大社の御分霊を勧請し奉斎合祀する。社号を天満宮と称した。
大友宗麟兵を率いて竜造寺隆信を攻め、再度に亘り戦ったが、永禄12年、和を結び娘婿の菅原鑑数(安武安房守)に安武地区の治安を委ねて故郷の豊後に引き揚げる。
安武安房守は海津城を築き天文16(1547)年に社殿を再建し守護神として宇佐八幡宮御分霊を勧請し奉斎する。社号を改め八幡宮と称するに至る。
安武本、武島の氏神として奉賛していたが、再々の大洪水に悩まされて、やむなく高台の現在地にお遷座する。
明治3年に至り高良山に建立された明静院の建造物をそのまま移築し神社の拝殿にする(久留米市文化財指定)。
明治年間、太政官令により一町村一社の勧告あり大正初期に各集落に鎮座した天満宮、祗園神社、田中神社を八幡神社に合祀される。

御末社 
祇園神社(本村、北古賀)
諏訪神社(小島鶴の子)
坂本神社(本村坂本)
竜宮神社(山浦堤防外)

安武村武島字大島の場所を、現在の地図で示すとこのとおりです。筑後川沿いから、ずいぶん内陸部へ移転してきたことがわかります。

楼門には、門守のお侍さんが座っておられました。

八幡神社拝殿 有形文化財(建物)

この建物は、明治初期の神仏分離によって廃寺となった高良山明静院の本堂を、明治3(1870)年に当地へ移築したといわれています。
箱棟には、天台宗の寺院によく見られる「輪宝紋」をつけ、東側に龍、西側に麒麟が力強く表現され、上部両端に置かれた大きな鯱(しゃち)と共に、建物の重厚さを際立てています。
また、内部の格天井には、有馬藩の御用絵師、三谷主郷(みたに・しゅごう)が中心となって描いた、154の墨絵や彩色画を見る事ができます。
これまでに部分的な修理はされましたが、江戸時代における高良山寺院の盛大さを知ることができる唯一の遺構として、貴重なものです。

拝殿は、むかし高良山の僧坊(明静院?資料によっては明浄院とも?)の本堂でした。

他の資料によれば、明浄院があったのは、現在の車道付近、赤の★印あたりとのことです。ここから、いまの道でも10km以上離れています。バラしてここまで運び、再度組み立てたのでしょうか……。

龍と麒麟とシャチがみごとです。

細かい部分まで、装飾もみごとです。

背後からみると本殿部分も一体にみえますが、

よくみると後付けで接合されているのがわかります。

淤加美神を祀る竜宮神社です。

スサノオさんを祀る祇園神社です。

画像左側は「坂本大明神」と石に彫られており、これが坂本神社のようです。

右は、天満宮の扁額が2つあり、これが天満宮を指すとおもわれます。

すると諏訪神社というのは?

帰宅して文章を作成して気づいたのですが、どうやら境内社 諏訪神社を撮影し忘れているようです。今後再訪したときに、あらためて探したいとおもいます。

狛犬が6対並んでいるのにはさいしょ驚きましたが、大正時代に地域の神社をすべて併合しており、おそらく各地にあった狛犬さんがすべて参道に並べられているのでしょう。

福岡県神社誌:中巻25頁
[社名(御祭神)]八幡神社(応神天皇、住吉大神、春日大神、菅原神)
[社格]村社
[住所]三潴郡安武村大字安武本字屋敷五
[由緒]三潴郡旧大島村より移転。明治六年三月十四日村社に被定。
[境内社(御祭神)]素戔嗚神社、坂本神社、諏訪神社、於賀美神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.07.13訪問)