松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

山口県下関市竹崎町1丁目 大歳神社


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義経必勝祈願 厄除 御朱印 | 大歳神社 公式ホームページ(山口県下関市) | 日本

ご祭神(四柱)
木花咲耶姫神(このはなのさくやひめのかみ)
大歳神(おおとしのかみ)
御年神(みとしのかみ)
若年神(わかとしのかみ)

大歳神社 (下関市) - Wikipedia

平安時代末期の源平合戦において、平家追討のため西国へ下った源義経が、武運の守護神・富士浅間神社の御祭神・大歳御祖大神に戦勝祈願を行った。義経は平家が布陣する彦島を望む有明山(大歳山・円山)に富士の小松を植え、篝火を焚き、二日二夜の沐浴して潔斎を行い、祈念を込めた桑の弓矢をもって平知盛の率いる平家軍に開戦の矢文を放った。
平家軍は急遽壇ノ浦に軍船を進めて戦ったが、待機していた源範頼の軍勢と義経軍の挟み撃ちにあい、平家は敗れ、義経率いる源氏軍の勝利となった。翌年の文治2年(1186年)、四軒の漁民が義経の祈願のありさまを畏敬して神祠を祀ったことが大歳神社の由来となる。
以来、武運長久の神として明治維新の際には奇兵隊旗揚げの軍旗が奉納された。大鳥居は文久2年(1862年)に白石正一郎が攘夷必勝を祈念して奉納した。

一の鳥居の横にある案内板です。今回はホームページやwikiのほうがまとまっているため、こちらを引用させていただきました。

木花開耶姫命(このはなさくや)を大歳御祖大神とするのは、記紀でニニギと木花開耶姫命が夫婦とされていることからくるものです。大年神(大歳神)とは天之忍穂耳のことですから、源氏が誰をルーツとかんがえていたか、ざっと把握しておけば充分です。

社殿正面向かって右手にあるお稲荷さんには、静御前と平徳子(建礼門院)が祀られています。平家を祀るのに、違い鷹の羽紋のお榊立てというのが、不思議な印象をうけます。

社殿正面向かって左側に、八坂神社とえびす様が祀られています。

この案内板を読んで気づいたのですが、この神社がいまの姿になったのは、マルハ(大洋漁業)の創業者 中部幾次郎によるもののようです。

中部幾次郎 - Wikipedia

中部 幾次郎(なかべ いくじろう 1866年2月18日(旧暦慶応2年1月4日) - 1946年(昭和21年)5月19日)は、明治から昭和初期(1900年代後半~1940年代前半)の実業家。林兼商店(後の大洋漁業、現在のマルハニチロの前身の一つ)創業者

(略)
鮮魚の運搬・卸を生業とする父の兼松の次男として播磨国明石郡林村(現・兵庫県明石市林)に生まれる。
1904年(明治37年)に明石から山口県下関へ移り、日本初の発動機船を開発し、東シナ海、朝鮮半島沖の漁場開拓を行う。

境内の隅に、石に彫られた絵があります。石が柔らかいのか、かなり崩れています。

七卿落ち - Wikipedia

七卿落ち(しちきょうおち)は、1863年(文久3年)の八月十八日の政変において、7人の公家が京都から追放された事件。

現地案内板によれば、1915年に建立されたものとのこと。

(2022.07.10訪問)