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福岡市博多区那珂1丁目 八幡宮(那珂八幡宮)


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めいっぱい小山のてっぺんを社地につかってお宮が建てられています。社殿のうしろは、人がやっと一人歩けるくらいの余裕しかありません。

史跡 那珂八幡古墳

市指定 平成4年3月23日

那珂八幡古墳は、那珂から比恵にかけての広大な台地上にあり福岡平野の前方後円墳の中で最も古い古墳である。
古墳の大きさは推定全長85m、後円部の直径約50m、後円部の高さ15mである。
後円部の埋葬施設が割竹形木棺であり、その中に副葬された三角縁神獣鏡などの出土遺物から、この古墳は福岡平野の最古の首長墓(4世紀はじめ)と考えられる。

一、許可なくして史跡指定地域内を発掘ならびに破壊しないこと。
ニ、許可なくして樹木の伐採をしないこと。
三、その他、史跡指定地域内の現状を変更する一切の行為は、文化財保護条例による許可を要します。

みんなの文化財を大切にしましょう。
平成6年3月 福岡市教育委員会 

どうやらこれ、前方後円墳のうえに建てられたお宮らしいのです。

那珂八幡宮縁起

祭神
 八幡神(誉田別尊=応神天皇)
 神功皇后(気長足姫尊=応神天皇の母)
 玉依姫(竈門神=神武天皇の母)

八幡神は、欽明天皇三十二年(西暦五七一年)宇佐の御許山に出現し、そのあと菱形山の現在地に祀った宇佐神宮が根本である。
八幡信仰は、天平時代(八世紀半ば)から王城鎮護の神の信仰としてはじまり、鎌倉幕府の開府以後(十二世紀末)からは武神として崇められ、武士団の全国浸透につれて八幡神が各地に勧請され、土地の産神として祀られるようになった。
神社の西麓には元宮と称するところがあるが、那珂八幡宮の祭祀のはじめはわからない。
いま、この祭地は、昭和六十年三月から七月にかけての調査で、全長七十五米、後円部直径約四十七米の、四世紀前半に築かれた九州では最古式の前方後円墳の墳頂にあることが確認された。
福岡平野では最大級といわれる古墳の主体部は、社殿の下にあるため構造は不明であるが、主体部の北側より出土した木棺墓からは青銅製の三角縁神獣鏡一面、硬玉製勾玉一個、碧玉製管玉二個、ガラス製小玉一個が出土した。
その他の出土物には銅戈鋳型片(弥生中期)、弥生時代の土器や鎌倉時代の土師皿、石鍋などがある。

現地の案内板をすなおに読むと、昭和63年の発掘で前方後円墳であることが確認されたとあり、古墳があった場所に神社を祀ったというわけでもなさそうです。

拝殿内に、毎年絵馬が奉納されています。いまどきなかなかないことで、驚きます。

今年はどうやら桶狭間のようです。さすが八幡神=武神というイメージがあるだけに、そういやどれもお侍さん姿ばっかりです。

福岡県神社誌:中巻51頁
[社名(御祭神)]八幡宮(神功皇后、応神天皇、玉依姫命)
[社格]村社
[住所]筑紫郡那珂町大字那珂字巣山
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]菅原神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.07.04訪問)