松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区塩原3丁目 地禄神社(塩原地禄神社)


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境内に立派なご神木が複数あり、鎮守の杜の雰囲気があります。

地禄神社縁起
一、御祭神 埴安比古大神 埴安比売大神
一、由来 当社は、その昔地禄天神社と言い農耕の神である。
御鎮座の起源は古いが御由緒は、審らかではない。古記によれば、その昔この地域まで入り海なりし時代塩を煮、豊作念願として潮煮塚を建て、当社の御分霊を頂き産土神としたとあり明治五年十一月三日に村社となる。
境内は、楠の大木を初め古木が天高く聳えて鎮守の森をなしていたが、昭和四十七年よりの塩原地区区画整理事業に伴ひ境内の半分が換地移動のため、本殿・拝殿・手水舎・大鳥居・末社等の改築、併せて参集殿の新築をなし同五十八年五月十五日、本殿への遷座祭を行うに至ったが、古来塩原村の守護神として家運隆昌・無病息災の祈願をなし村人の崇敬の的である。記録としては、本殿内五幣の棒に右に十六三即天神拝幣敬白左に寛永十一年(一六三四)甲戊十二月吉日とある。その他奉納年代に享保七壬寅歳(一七二二)奉寄進の鼻長一面、明和四年(一七六七)の木彫りの獅子一対それに那珂郡塩原村奉寄進年月不明の鼻長一面、同じく年月不明の木彫の狛犬一対その他がある。其の他今回の解体移築に際し拝殿棟木に天保二歳(一八三一)三月吉日の文字があり鳥居は、弘化四丁未歳四月吉日また明治十七年の鳥居の一部もみえるが如く、当初より数回改築されていると思われるが記録はなく、定かでないが、奉納年代に改築されたものと推定される。
境内敷地 四七八、三五坪余
塩原地禄神社 

案内板を読むと興味深い記述があります。

地図をご覧になるとわかるとおり、あまりピンと来ないのですが、ここまで海であった時代があったそうなのです。そしてそこでは豊作祈願として塩をつくって供えたとのこと。

いつも大幡主(博多のお櫛田さん)とは塩土老翁であり、埴安命であると主張してきましたが、ここにひとつ傍証がありました。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

そしてもう一点おどろくのは区画整理事業の徹底ぶり、街路は別物と化しています。

社殿正面向かって右側に、福岡県神社誌にも記載の貴船神社があります。

貴船神社の背後に2社のお宮があります。画像左は天満宮、右がお稲荷さんです。

社殿正面向かって左側には、観音堂があります。

どうやら、区画整理事業で周囲にあったお宮やお堂を、まとめて整理したもののようです。

iPhoneの広角カメラで撮影するとどうしてもうまく撮れないのでなるべく使わないようにしているのですが、全景はこんな感じです。社地の半分を区画整理事業で換地したそうですが、50年経って木々も育ち、なかなかの構えです。

福岡県神社誌:上巻86頁
[社名(御祭神)]地禄神社(埴安神)
[社格]村社
[住所]福岡市大字鹽原字宮ヶ畑
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]貴船神社(彌都波能売命)、稲荷神社(宇賀御霊神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.07.03訪問)