松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市戸畑区浅生2丁目 八幡神社(飛幡八幡宮)


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この日移動に路線バスを利用したのですが、車道脇に「飛幡宮」「飛幡宮有料駐車場入口」と看板があり、鳥居のさきには車がずらりと並んでいます。

どうやら敷地内、貸せるだけぜんぶ駐車場で貸しているようです。数周ぐるぐる見回したせいか、駐車場の管理人さんから怪しまれかなりきつくにらまれました。

飛幡八幡宮御由来
    右殿 須賀大神(須佐之男命)
御祭神 中殿 八幡大神(神功皇后・応神天皇・比売大神)
    左殿 名護屋大神(道祖大神)
後鳥羽天皇建久五年遠賀郡花尾城主上野介重業(後麻生と称す)は武を重んじ敬神の志篤く城の鬼門に当たる枝光村宮田山に、八幡大神を崇敬 枝光-戸畑-中原の三村人の産土神として恭敬す。
天正年間戸畑汐井崎より戸畑お坂(現鳥旗)に遷座せられ村人悉く崇敬の誠を尽くせり。
斯くては、戸畑は長足に進歩し大正六年より現在の浅生を宮地と定め、御社殿の御造営に着手し、大正九年十月十三日竣工並び同日御遷座を執行せられ現在に至る。
(案内板より)

 ここも、さきに訪問した中原八幡宮同様、枝光八幡神社からの分社のようです。

戸畑区 - Wikipedia

戸畑は明治の中期までは寒村で、人口も約3,000人であったが、(略)市制施行時の1924年には約38,000人だった人口が1947年には現在の人口よりも多い約68,000人に、5市合併の1963年にはピークの約109,800人となった。

町の発展にともない新たな宮地を選定して立派な社殿を建て、現在の大規模な神社になったのが、大正時代でした。

新たにすべて作り直した神社は、神仏習合時代の遺構などがなく、動線もイチから設計できるため、すっきりしているところが多いものです。

境内の一角に、境内社がまとめられています。

庚申塔のほか、画像いちばん右は「神饌蕎麦耕作地碑」です。この汐井崎というのがよくわからないのですが、天籟寺川の河口付近には汐井町があり、JR戸畑駅や戸畑イオン(以前は戸畑鋳物工場、現日立金属の発祥の地)があります。

あの駅のあたりが蕎麦畑だったとはいまいちピンときませんが、石碑があるんだからそうなんでしょう。町の移り変わりとは恐ろしいものです。

画像左から、恵比須社、岩根神社、興玉神社、龍王神社、宮地嶽神社、疫神社がならんでいます。

どうやらこれすべてお稲荷さんのようです。

賽銭泥棒に何回もやられたようで、賽銭箱そのものが封鎖されていました。

宇佐神宮でもみかける水巴紋?流れ三つ巴紋?が本殿に彫られていました。

住吉神社 (下関) 住吉荒魂本宮

宇佐神宮では比売大神にこの紋章を充てていますが、下関の住吉神社でもわかるとおり、このテの渦巻きマークは、中筒男尊(崇神天皇、都怒我阿羅斯等:つぬがあらしと、賀茂別雷大神<=ここは天下掌握後の葵紋です)を示すことがあります。

どうやら社殿から斜め西寄りに伸びた参道が、正式な参道のようです。

こちら側から境内を出て、社号標のある鳥居を撮影してみました。

むかしお宮があったJR戸畑駅がある方向に、一直線に、参道が伸びています。

福岡県神社誌:上巻180頁
[社名(御祭神)]八幡神社(神功皇后、比売大神、応神天皇、須佐之男命、道祖大神)
[社格]県社
[住所]戸畑市大字戸畑字浅生
[由緒]略
[境内社(御祭神)]蛭子神社(事代主命)、興玉神社(興玉命、高淤加美神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.06.30訪問)