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公式ホームページ
住吉大社を再訪する
2021年4月に訪問した住吉大社を、2022年6月26日に再訪しました。
全国の神社を紹介する「玄松子の記憶」では、以下のとおり資料により御祭神にブレがあることが示されています。
前回、花菱紋と第一本宮の御祭神が底筒男尊とされていることから、九州から関西へ移住したひとたちにより創建された或る種の玉垂宮だと書きました。
今回は、境内を歩いて気づいた点を書いていきたいとおもいます。
大海神社
大海神社(だいかいじんじゃ)
本宮域の北側に鎮座する大海神社は、摂社の中でも最も社格が高く、住吉の別宮、住吉の宗社と称えられ古代の祭祀においても重要視された神社です。祭神は、海幸山幸神話の海宮の竜王とその娘にあたる豊玉彦と豊玉姫の二柱をお祀りしています。
社殿は、本社と同じ「住吉造」の本殿で、四本宮よりも古く宝永5年(1708)に造営されたものです。幣殿、渡殿、西門と共に重要文化財に指定されています。
祭神
・豊玉彦命 (とよたまひこのみこと)
・豊玉姫命 (とよたまひめのみこと)
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳における祭神の記載は2座。同帳では「元名津守安人神」と注記されるが、『特選神名牒』や『神名帳考証』ではこの「津守安人神」を「津守氏人神」と校訂し、以来当社を住吉大社奉斎氏族の津守氏(津守連のち津守宿禰)の氏神と解釈する説が知られる。ただし『新撰姓氏録』では津守宿禰は尾張宿禰と同祖で火明命(天火明命)の後裔であるとされており、阿曇氏の祖先神たる海神(綿津見神/豊玉彦)とは相違する。
公式サイトでは「だいかい=じんじゃ」と呼び、豊玉彦と豊玉姫を祀るとしています。ただ、過去の資料では代々宮司をつとめた津守氏の氏神とされていたとあり、wikiにはこの場合、血統について疑義があるという解説もあります。
玉垂宮神秘書をもとに神社めぐりをしてきた立場からいえば、山幸彦は猿田彦であり、饒速日(にぎはやひ)であり、天火明命(あめのほあかり)ですので、この点で疑義が生じることはありません。塩土老翁(大幡主)の子 豊玉彦の娘 豊玉姫と山幸彦のあいだに生まれたのが鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)で、神秘書は彼を住吉大明神と書いています。鵜葺草葺不合命の子のひとりが表筒男尊 安曇磯良で、津守氏はこの系統から生じ、住吉大社に代々仕えてきたことになります。
しかし、大海神社に豊玉彦・豊玉姫を祀り、住吉大社本殿に住吉三神を祀るのであれば、山幸彦(豊玉姫のダンナ)と、神秘書で住吉大明神として、高良玉垂命に神器を継受した鵜葺草葺不合命の存在が消えています。孫と祖母と曾祖父の組み合わせは、さすがに妙です。
しばらく思案してみると、ほんとうに大海神社は「だいかい=じんじゃ」なのか、という疑問がわきます。大海神(おおわだつみ)社ではないのかと。そうなら豊玉彦の父 塩土老翁こと大幡主(国常立命、神皇産霊神、熊野速玉男)を祀っているとも考えられます。この場合、一族のお宮の近くに宗廟をもうけたことになり、多少はすわりがよくなります。
ただ、こう解釈すると相殿とされた女神が誰か、という問題がでてきます。
個人的には、熊野速玉男とは大幡主であり、熊野夫須美ことイザナミさんの再婚相手だと理解しています。まず考えられるのは、この組み合わせです。
朝倉市上浦 高天神社(鷂天神社:はいたかてんじんじゃ) - 美風庵だより
もうひとつは、大幡主と天照大神(卑弥呼)さんの組み合わせです。
それにしても、北部九州で素朴な祭祀ばかりをながめていると、やはりここは都というか、次の世代がつくった祭祀場だと、感じます。いろいろな伝承がくっついて、じつに複雑です。
過去の訪問記録
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 住吉大社 再訪(1) - 美風庵だより
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 住吉大社 再訪(2) - 美風庵だより
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 住吉大社 再訪(3) - 美風庵だより
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。
(2022.06.26訪問)