松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区弥永1丁目 背振神社


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背振神社は、警弥郷(けやごう)バス停ちかくにあります。

さきに訪問した、同じ弥永1丁目の春日神社同様、拝殿の足元はコンクリート造りです。違いは、渡殿の部分に壁があるかどうかと、本殿の流れ屋根の角度くらいでしょうか。

背振神社の由来

所在地 弥永一丁目三-八
建立年 享保年間より以前
祭神 多岐理姫命・市杵嶋姫命・多岐都姫命及び弁財天
奉祀者 坂井若狭

(いわれ)
古えより多岐理姫命外二女神(謂ゆる宗像三女神)を奉祀してあった福岡県と佐賀県の県境に聳ゆる背振山頂の神祠に、仏教伝来以後の今より一一三〇年前に当る貞観三年(西暦八六一)に韓国より渡来されたと伝えられ弁財天を神仏合祀されたという背振神社下宮(佐賀県東背振村大字田中)より坂井若狭(生年月日不明)が現在地の弥永に勧請し奉祀したと伝えられる。(筑前続風土記拾遺)

現在当社に残されている文書によれば享保一八年(一七三三)旧暦九月十五日に当時の宮座により祭典が行われた記録があるので、それ以前より奉祀されていたものであると考えられる。尚その当時の宮座の人々の数は十七名という。

注)「韓国より渡米」では日本語にならないため「韓国より渡来」としました。

案内板を現地でながめ、しばらくかんがえこんでしまいました。この文面だと、いわゆる宗像三神のうち田心姫(たごりひめ)が朝鮮から渡来した弁財天信仰と習合したということになってしまいます。一般的には市杵嶋姫(いちきしまひめ)が弁財天とされていますし、おそらく宗像三神は後付けではないでしょうか。後世、宗像三神(とくに田心姫)と同一視された朝鮮から渡来の姫君はべつに居るのかもしれません。

それにしても、この絵馬のみごとで、しかも奉納された数の多いこと。信仰があついことがわかります。

福岡県神社誌:中巻54頁
[社名(御祭神)]背振神社(市杵嶋姫命、田心比売神、高津島姫神)
[社格]村社
[住所]筑紫郡曰佐村大字警彌郷字権現
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.06.23訪問)