松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年2月28日の日録

27日の記録。

18時の予約投稿に間に合わなかったため、こちらに掲載します。

27日、小倉の知人事務所に出ました。

ひとり現地で棄ててもらいJR下関駅から徒歩圏内で「神社めぐり」をします。

JR下関駅は記憶にあるかぎり、年中ふぐちょうちんの装飾があります。

地下道を渡ってすぐ、レンタカー屋さん付近に「大洋漁業本社跡地」の記念碑があります。「まるは」ですね。「大洋ホエールズ」といったほうが、わかりやすいかもしれません。2010年に取り壊されました。

ジモティではないので記憶がおぼろなのですが、いま立正佼成会がある辺りが本社だった気がします。立正佼成会の裏は、いまも現役の風俗街です。数軒、成人男性向け特殊浴場が営業しています。

この日記にもすでに何度か登場した鈴ヶ森稲荷神社をとおりすぎて、さらに西をめざします。

「赤間神宮小門御旅所」です。入水した安徳天皇の遺骸が流れ着き、しばらくここに葬られていた場所です。のちに、現在の赤間神宮にあらためて祀りなおすことになります。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

以前にもいちど来たことがあったのですが、とうぜん今の地形を前提にかんがえてしまい、どうやったらここに流れ着くのだろう?と疑問をもっていました。今昔マップで大正時代の地図と見比べると、JR下関駅周辺はすべて埋立地なのがわかります。なるほど……。

こんなろくに波もない海でどうやって流れ着くのかとおもってしまいますが、JR下関駅や林兼のハム工場、MHIの造船所などがある土地がまだ埋め立てられる前ですから、こんなものではなかったのでしょう(瀬戸内側や響灘側は、まったく波のぐあいが別物です)。

月見稲荷社です。最も新しい奉納鳥居に平成10年とあり、四半世紀前まではきちんと祭祀が行われていたものとおもわれます。ここまで歩いていて、目視での空き家率がほぼ半分。地域の衰退とともに祭祀が困難になったケースかもしれません。

この先に、googleマップでは「敬神神社」というのがあるようです。どうみても立ち入り禁止っぽいので、ここから先に足を踏み込むのは諦めました。

蛭子神社です。なお、海岸沿いの一の鳥居は「戎神社」とあり、「えびす」をどう表記するか、ブレがみられます。

この日訪問を予定していた最後のお宮さん、福徳稲荷です。奥の鳥居は、おそらくむかし集落側から直接登れる石段があり、その名残にみえます。いまは、道が途中でとぎれてなくなっています。

岩盤の上を無理やりコンクリートで固めてひろげて神社を建築しているため、望遠レンズでないとまったく撮影できません。これは、弱りました。

社殿を背にして、鳥居から彦島と海をながめます。

下関市伊崎町1丁目 鈴ヶ森稲荷神社 - 美風庵だより

このまま素通りして帰るのも失礼ですので、ひさしぶりに鈴ヶ森稲荷神社をお参りしました。

この鈴ヶ森稲荷神社の肝は、社殿正面向かって右脇のこの狐穴にあるとおもっています。念入りに手をあわせます。

鈴ヶ森稲荷神社から石段をくだると海晏寺というお寺があり、その境内に豊川稲荷があります。ここにも手をあわせて、今日の運動は終了です。

風俗街の真ん中に、大阪屋という看板がみえます。松田優作が生まれたのはここから歩いて数分のところで、帰郷するたびにここでちゃんぽんを食していたとのこと。ぱっと見、すでに営業されていないようです(あとで確認するとgoogleマップでは「閉業」マークがついていました)。

15時過ぎるまで昼飯を食えていなかったため、JR下関駅のモスバーガーで、フィッシュバーガーのセットをいただきました。有線放送でしょうが、食っているあいだのBGMが、なんとシベリウスの交響曲第5番です。聴き入ってしまいました。こういうライトじゃないクラシックがBGMに選曲されることあるんですね……。

約4.3km、80分ほどの運動でした。

 

「とらふくのひれ酒」

ひれ酒といえば下関酒造。年間10万本売れるひれ酒|下関酒造株式会社 酒庵「空」

禁酒断酒節酒を解禁したので、JR下関駅1階の土産物売り場でひさしぶりに「ひれ酒」を買ってきました。ひれ酒を楽しむコツは「え!」とおもうくらい熱々の熱燗(煮える手前)にすることで、これで生臭みが飛びます。そしてもうひとつは、ほんの少量でよいので塩か味の素を加えることで、酒と焼ひれがなじみます。でかい声では言えませんが、某料亭でやっているテクです。「酒」というよりかは、「酒で煮たフグの焼ひれスープ」とかんがえたほうが、しっくりきます。

なお、JR下関駅1階の土産物売り場で2本セットが1,120円でした。高いと言えば高いですが、ふぐそのものが高いですから、ね。

1杯目を飲んだらコップのなかにヒレを残して冷蔵庫に保存しておき、翌日、菊正宗の生もと純米を注いで20分ほど放置し、少しだけ塩を加えて電子レンジで熱々の熱燗にしました。これもまた、美味いです。

 

福岡のしょうゆ。

福岡は、出荷量で全国9位か10位くらいしかないのに、生き残っているしょうゆメーカー数は全国一位という土地柄です。

 福岡には都道府県別で全国最多、約90のしょうゆメーカーがある。その理由について、慶応義塾大文学部の井奥成彦教授(日本経済史)は、農業生産力の高さに加え、明治以降の鉱工業の発達が背景にあるとみる。

透明、パンに…常識覆すしょうゆ続々 多彩な九州の醸造所 | 3ページ目|【西日本新聞me】

西日本新聞ともあろうものがえらい頓珍漢なことを書いていて、おどろいたものです。これ、醸造事業者が増えた理由としては正解ですが、いまもこれだけ生存している理由としては、意味をなしません。

福岡県醤油醸造協同組合

1966年に、しょうゆ原料を共同処理する工場を設立し、原料調達/醸造を共同化し、供給された生しょうゆを、それぞれが再加工して自社ブランドで売る体制をととのえます。製造という、いちばん体力が要求される部分を合理化できた結果、個々の企業は、いわば営業販売と商品開発に特化できたわけです(しょうゆ加工品のシェアが高いのはそのため)。全国10か所ほどで同様の共同組合化が行われていますが、設立当時100社超えていたのは、全国でも2つか3つだったとのこと。

これ、逆にいうと、徒歩数分のしょうゆ屋で買っても、スーパーで県内中堅企業の商品を買っても、もとをたどれば同じものなわけで(笑)、新式醸造(アミノ酸液混合醸造)の激甘しょうゆが嫌なら、わざと他県メーカーを選ばないといけません。

しかしそうはいっても、関東企業がつくるしょうゆらしき塩水は身体が受け付けませんので、九州産のほんのり甘いものからえらぶことになります。要は糖類添加はするがアミノ酸液混合はしないものを、というわけです。

単純に薄めりゃ味がそこそこ決まるのは、じつは新式醸造だったりします。その代わり甘みの引き算ができません。

九州のひとが東京に行ってしょうゆを味見し「これでどうやって料理をすればいいか混乱した」という話はだいぶ聞きました(逆もあるようです)。激甘の新式醸造が当たり前で育った世代には、丸大豆醤油は同じしょうゆを名乗る異物でしかありません。

私はそうめんを常食しているのですが、めんつゆの甘さが嫌で、しょうゆで割ってつかっています。この場合、新式醸造だと、もとが甘いのであまり割ったことになりません。結果として九州産の糖類入り本醸造に落ち着いていますが、これでも、年配が我が家に来ると「しょうゆがいかん!甘くない!」と怒られます(笑)

なんと映っております。

youtu.be

2月23日、山陽新幹線でJR小倉駅からJR広島駅まで移動したさい、なんとJR博多駅で新幹線に乗りこんだ知人から目撃&撮影されてしまいました。どこに世間の目があるかホントわからないものです……。

第9回 音楽大学オーケストラ・フェスティバル2018 - 美風庵だより

2018年12月1日に行われた「第9回 音楽大学オーケストラ・フェスティバル2018」のもようがyoutubeにアップロードされているのですが、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」のあいだ、ステージをガン見したり最後に拍手している姿が、しっかり何回も写っております。アイヤ~(>_<)はづかち~あるね~