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妙見神社(佐賀県唐津市) | 病、仕事、商売、恋愛、勝負事、学業、受験 等。人生の道を良い方向に導き開いてくれるおみちびきの祈願に。
唐津市藤崎通にある妙見神社を訪問しました。


今回の訪問では西唐津公民館と共用の車道側から登ったのですが、集落側からも石段があります。駐車場側の参道は大きく左折するため、神社の社殿を横にながめつつ、入り口まで進むことになります。


妙見さまというと九曜紋をはじめ星をモチーフにした御神紋をいただいていることが多いのですが、ここは柏紋です。推測するに、奉斎した一族から由来するものかもしれません。幕には玄武(亀)も描かれています。
拝殿内にあがらせていただくと奉納絵がありました。説明によれば、子どもに親しみをもってもらうため、伝統的な絵柄にしなかったとあります。かんがえてみれば神様がかりに居たとして、どう頭のなかや心で像をむすぶかは個人のおもうところにかかっているのですから、これはこれでよいかもしれません。ただ、「三国志」でも「信長の野望」でも、ゲームに登場するイケメンの武将と、現地に残された当時の肖像画の落差に驚くことが多々あり、きっかけと、興味を持ち足を踏み入れたあと史実の落差は、あまりないほうがいいかもとは、おもいます。
あと、この天之御中主は男性です。天之御中主は白山信仰でいう菊理姫と認識していたので、おそらく剣を振りかざす妙見菩薩像からインスピレーションをうけられたのだとおもいます。
拝殿のなかには宝くじ当選祈願で有名になった宝当神社のお守りも並べられていました。神職のかたが兼務されており、コロナの持ち込みをふせぐため、ここでも頒布されているとのことでした。
由緒の原文はホームページで読んでいただくとして、気になる点を抜粋すると次のようになります。
- 701年 創建。
- 1102年 波多源次大夫が岸岳城を築く。有力な庇護者であった波多氏が台頭。
- 1592年 筑前の漁夫3人が金比羅詣りの途上暴風にあい漂着。神社に願をかけ再度金比羅詣りに向かい、無事帰還後、境内に金比羅社の分霊を奉納する。
- 1594年 波多氏最後の当主 波多親が所領没収のうえ常陸国筑波に配流。庇護者を失う。
- 1619年 唐津藩主寺沢広高公が加藤清正秘蔵の妙見菩薩像を奉納
- 1869年 「有力な世話人なき為」神社明細帳から脱漏。のちに無格社として登録。
- 1913年 信者寄進の稲荷神社を合祀し境内に再建
- 1933年 村社昇格、のちに郷社に昇格。
- 1934年 生目神社を勧請し境内に祠を建立
そうとう波乱万丈だったことがわかります。
社殿正面向かって左手に、3つお宮や祠が並んでいます。
画像左手が生目神社、中央と右手がお稲荷さんです。中央と右手が、由緒にある「竹の森稲荷」さんと「杉の森稲荷」さんでしょうか。
金刀比羅神社は、社殿の正面向かって右手にありました。
みどころの多い境内ですが、いちばん惹かれたのはこのちんまりとした肥前狛犬でした。いつごろからこの神社にあるのかはさだかではありませんが、肥前狛犬が生産された時期(17世紀)をかんがえれば、もしかするといちばんの古株かもしれません。
参道脇に玄武(亀)像がこんなに並んでいるのを、はたしてよそでみたことがあっただろうか?とおもいます。信仰のあつさがうかがえます。
(2022.06.12訪問)