松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

岡山県岡山市北区石関町 岡山神社


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岡山神社(岡山県岡山市北区石関町)

当社は清和天皇貞観年中(八六〇)の創建で、岡山という現在の岡山城本丸の地に鎮座しており、「坂下(さかおり)の社」と呼ばれていた。永禄年中(一五五八-一五七〇)に「岡山大明神」と改め、天正元年(一五七三)岡山に入城した宇喜多直家が岡山城を築くにあたり、現在の社地に遷し岡山城の守護神として社領(神社の土地)を寄附。 直家の子、秀家が本殿を、その後の城主小早川秀秋が拝殿以下を造営した。池田家が城主の時は城内鎮守として特別に崇敬され、社領として三百余石を寄附。 万治年中(一六五八-一六六一)以後は「酒折宮(さかおりぐう)」と号していたが、明治十五年、社号を「岡山神社」とした。昭和二十年六月二十九日の岡山大空襲にて随神門ほか末社数社を残すほか焼失。

主祭神
倭迹迹日百襲姫命「やまとととびももそひめのみこと」
第七代孝霊天皇の皇女であり吉備津彦命の姉。
霊能力が強く聡明で叡智に長けており、予言や託宣などで疫を治め、
武埴安彦の謀反を未然に防ぐなど、崇神天皇の治世の時に重要な役割を果たした。

副祭神
日本武尊「やまとたけるのみこと」
吉備津彦命「きびつひこのみこと」
大山昨命「おおやまくいのみこと」(山王神)
倉稻魂命「うかのみたまのみこと」(稲荷大神)
武安霊命「たけやすびのみこと」(池田光政)
妹姫命「いもひめのみこと」

現地訪問するまえに、新幹線車中でgoogle検索し、祭神が孝霊天皇(大日本根子彦太瓊天皇:おおやまとねこひこふとに)の子女とされているのを知りました。孝霊天皇は名前に「やまと」を含み、正統皇朝である九州王朝の天皇なのですが、現王朝が皇統をゆがめている(出自を改ざんしている)かもしれず、深く考えずに現地に向かいました。

楼門(随神門)の五七桐紋をみて、目が丸くなります。五七桐紋は、九州王朝で皇室の紋とされたなかのひとつです。高良玉垂命(日本書紀でいう開化天皇)が使うときは五七桐、神功皇后は五三桐をもちいました。

ということは、ここは九州王朝と縁がある土地、しかも正統皇朝の記憶をとどめている土地とみるほかなく、頭痛がしてきました。

帰宅してあらためて頭を整理してみると、孝霊天皇とハエイロネ(倭国香媛:やまとくにかひめ、意富夜麻登久邇阿礼比売命:おほやまとくにあれひめのみこと)の子が吉備津彦と倭迹迹日百襲姫と考えれば、このふたりが五七桐紋をつかうのも何ら問題はなく、孝元天皇(大日本根子彦国牽尊:おおやまとねこひこくにくる)の異母兄弟だったと考えられます。

岡山神社

一説には尾張国熱田宮から勧請されたと伝えられ、式内社・尾針神社であるという。

現地を訪問するまで「玄松子の記憶」のこの記載から、日本武尊を祀る姿がほんとうなのだろうとおもっていましたが、元々は違う姿であったとあれば、話はがらりとかわります。

いろいろと調べてみる必要がありそうです。

境内社はほとんどが複数を合祀しています。戦災で焼けたときに整理されたのでしょうか。

(2022.05.22訪問)