松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年1月6日の日録

まだ壬寅年だったりします。

奇門遁甲や四柱推命といった中国占術の世界では、2月4日午前11時から、癸卯年です。現在、壬寅年の癸丑月と、水行だらけでどこに向かうかわからない(たぶん世界のお偉いさんがたが誰も先行きをグリップしていない)状態で長期的な判断をするのは危ないため、2月4日すぎて癸卯年+甲寅月まで待っているところです。

2月4日以降は壬(海原・濁流)ではなく癸(雨)になりますから、ずいぶんと相場の荒れもおさまってくれるのではないでしょうか。少なくとも、ウクライナ紛争のような大波乱をまねく外的要因は起きにくいはずですけどね……。

あと1か月、なんとか大過なく過ごせますよう。

 

今日の運動経路

6日、小倉の知人事務所に出ました。

昨日にひきつづき各所にご挨拶です。

帰路、知人事務所のかたに「以前から目をつけていたがバス停から遠いので、晩飯おごるから送ってくれないか。行きは自分で運転する。現地でおれを棄てて事務所に戻ってくれればいい。帰りはバス停まで歩く」と言いながら場所をgoogleマップで示すと「こんな道はしれません!クルマに傷はいったらどうするんですか!歩いてください!」と即答され、JR門司港駅で放り出されました

JR門司港駅から西鉄バスに乗り「清見4丁目」バス停につきました。

ここから今回の目的地である大山神社まで、googleマップで2.3kmあります。

まだこの辺りは離合できるので序の口です。ここから延々となだらかな坂を登ります。

途中、花山集会所とある建物の横にお地蔵さんらしきお堂があり、手を合わせます。高度を稼ぐためのヘアピンカーブがつづき、道の両側に市営住宅とおぼしき建物が並びます。麓のバス停から私の足であるいて5~6分とはいえ、こんなところに市営住宅……。

市営住宅を抜けると「清見東公園」で、遊具とベンチがあるのみです。あまり人の気配は感じません。

門司区田野浦 周辺(清見・谷町・吉野町・白野江)地区の史跡等 (kitahistory.net)
清見より大積へ越す峠で、さやの神を祀っていたことから佐夜峠と名付けられています。なお、この峠道から大積へ抜けると出口の谷を守るように、丸山城が築かれています。

途中、サヤ峠をとおりましたが、鳥居はみえるもののどこからあがったらよいかもわかりません。

峠を抜けるとお堂があります。現在の地図では清見佐夜町とありますが、お堂わきの案内板をみると白野江佐夜町とあり、住居表示前はここも大字白野江だったことがわかります。

googleマップのストリートビューで表示され「歩いてください!」と即答された場所にやってきました。これ、軽自動車でも離合できません。歩いてきて正解でした。

「中間地点」の標識で周囲を見渡すと、もしかするとむかしはここが離合場所だったのかもしれません。いまでは落葉で足元がどうなっているかもわかりませんが、なんとか軽自動車なら離合できそうです。

道の分岐点に、猿田彦大神とある庚申塔とお堂があります。

都市化がすすんだ集落では道路拡張工事のさい、神社の境内に寄せ集めてしまっているところが多いため、じつに貴重です。

関門自動車道を遠くに眺めつつ、目的地の大山神社にむかいます。

途中、ふと目をやるとお堂がみえます。近づくと、新門司四国霊場第33番札所でした。この「新門司四国霊場」というのは、これまで断片的に情報を得ることがあった「二市一郡新四国霊場」「北九州西国三十三観音霊場」とは別物らしく、八十八か所写しがいったい何か所あったのかと驚いてしまいます。

大山神社の鳥居がみえてきました。石段に近づいただけで鳥の鳴き声がけたたましくなり、どこかから(やつらは夜行性のはずなのに)サルと鹿の鳴き声も聞こえてきます。あきらかに異質物を警戒しており少しひるみますが、わざわざここまで来て、このまま帰るわけにはいきません。

大山神社です。いつものように「わかいねーちゃんと仲良くなりたい」「仕事くれ」と超俗物なお願いをして画像を撮影し現地を去ろうとすると、立候補予定者の支援者と、ネットショップ開業を検討しているかたから電話がかかってきました。どうやら日銭を稼ぐチャンスはしっかり恵んでくれるようです。

すみませんこんな余所者に……。

鳥居をくぐる前から尾行していたニャルソックさんとも、途中でお別れです。

ショートカットするため、車道として使えるかどうか微妙な幅の道を抜けます。

今回の「神社めぐり」のもうひとつの目的地、「苔縄地蔵」です。

苔縄地蔵|門司の名所・旧跡巡り (mojiku.net)

門司区おおつみの山中に苔縄地蔵は、 当時の村民によって建てられました。 大正13年、16歳のもじ郵便局集配員であった苔縄少年は、しらのえで集配中に前日からの豪雨で水かさの増した谷川に、 足をとられ転落してしまいました。 郵便物を流してはならぬと集配用鞄を水上にあげ、大声で助けを求めました。 その声を聞きつけた人が助けようとしましたが、 少年は「これを先に」と鞄を先に手渡し急流にのまれて亡くなってしまいました。その後、遺体で発見された苔縄少年の表情は、責任を果たし安堵の笑みを浮かべていたということです。 

郵便配達の途中で殉職した苔縄少年を祀る地蔵堂です。清掃が行き届き、お地蔵さんもきれいです。後日現地案内板をOCRで文字化し「神社めぐり」で掲載したいとおもいます。

大積東口」バス停に到着し、本日の運動は終了です。

5.3km、約100分の旅でした。

餃子の王将」で、味噌ラーメンと餃子をいただきました。朝飯抜きで小倉に来て、夕方にやっと昼食です。もしかするともう晩飯は帰宅して食わないかもしれません。