年末どこも停まる。
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西鉄さんは12月31日は太宰府天満宮の参拝客輸送のため終日運転でてんてこ舞いしているのに、さらに人身事故。JR九州も、鹿児島本線で人身事故でした。
2022年の年末は、とにかく列車事故ばかりみかけた印象です。
年末のブルックナー
立候補予定者が公式サイトに掲載する「新年のあいさつ」原稿待ちで、23時ごろからパソコンをひらいていたのですが、いつまでも原稿が来ず、することがないため、youtubeをながめます。
まずはジュリーニがブルックナーの交響曲第8番を指揮したもの。指揮する手のうごき、目、口を観察するとわかりますが、じつにこまかいところまで制御しています。ここまでやるか、という感じです。
朝比奈隆=NHK響 ブルックナー交響曲第8番 - YouTube
かたや、1997年3月の朝比奈さんとN響の伝説の演奏。細かい部分は完全に演奏家任せですが、揃えないといけないところだけはピシッと指示してます。
これはカラヤンが指揮したもの。ブルックナーの遺体が安置されている聖フロリアン教会での収録です。さすがに神々しさがそなわっています。
いろいろ指揮者の姿を見比べながら、出てくる音の違いをたのしむのも、おもしろいものです。
初詣と高良山登山
今年も元旦は高良山登山です。すでに12月28日の日記で書いたとおり、元旦9時から南西に「青龍返首」がめぐってきます。これをねらい10時過ぎに甘木駅を出発する西鉄電車に乗って、久留米に向かいます。
路線バスとの乗り継ぎが20分ほどあったので、モスバーガーでフィッシュバーガーとポテトのセットをいただきます。いい齢をして新年の初外食がモスバーガーです(笑)
「追分」バス停に到着しました。ここから王子宮(高良御子神社)にまずお参りして、つつじ公園~奥宮~高良大社~大学稲荷神社と歩く予定です。
高良大社の鳥居がみえてきました。江戸時代に有馬藩が現在の社殿を造営したさい、社殿を久留米城下の方向に向けます。それ以前は北側を向いており、この鳥居がほんらいの参道だった時代があるときいたことがあります。
2000年にJR久留米大学前駅が開業するまえは、JR御井駅が高良大社の最寄り駅とされていました。そのころはこの鳥居から王子池や阿志岐坂を抜けて吉見岳から高良大社に至る道が、参道として案内されていました。いまでは、荒れ放題ですが……。


王子宮(高良御子神社・坂本神社)をまずお参りします。高良玉垂命の9人のお子さん(九躰皇子)を祀る神社です。
10月29日に高良山に登ろうとしたときは、通夜堂の横から王子宮コースにはいることができませんでした。今日は通行止めの看板はありません。


途中、砂防ダムがつくられているところまでは、コンクリートで舗装されていました。
鶴ヶ城ノ滝の滝行場は災害で崩壊後、一部の石仏が撤去されたままです。道の工事が終わった後も、このまま荒れ放題ということはさすがにないとおもいますが……。


コンクリート舗装は砂防ダムのところで途切れ、見慣れた王子宮コースの登山路があらわれます。ただ、倒木の処理がまったくなされておらず、とおりにくいことこのうえありません。


こんなに放置気味だったか?と不思議な気分でそのまま登っていくと、なんと北面コースとの分岐点に通行止めの標識がありました。さらにつつじ公園にむかって坂を登っていくと、倒された案内板があります。推測ですが、災害復旧工事を請け負った土建屋さんがあちこちに通行止めを立てたものの、どうやらいたずらされたりしている様子です。


ここでふとなにかの視線に気づきます。猫です。よほどの不審者なのかニャルソックされています。
つつじ公園の駐車場にたどり着きました。
甘木方面を撮影しようとすると、どうしても手前の木が邪魔になってしまいます。


自販機で買ったコーヒーをのみながら、つつじ公園の売店で休憩します。
私を尾行する猫は、2匹に増えていました。


売店の休憩スペースを出ると、黒っぽいほうの猫が鳴き声をあげてすり寄ってきます。
しゃがみこんで「わるいけどあんたたちにあげられるようなお菓子もパンもなにも持ってない。ごめんね」と告げると、なんと、目をそむけ、後ろ足でKICKしてきます。言葉がわかるのか?


高良山の山頂を南北に越えて奥宮をめざしてもよかったのですが、だんだん疲れてきたので、山の周囲をぐるりと迂回するトラバース路にはいります。


奥宮です。ここは江戸時代まで高良廟とされ、高良玉垂命の墓所とされていた場所です。のちに本地仏として毘沙門天が祀られるようになりましたが、さすがにそのままというわけにはいかず、明治時代、神仏判然令をクリアするため「水分神社」となります。
戦前発行の福岡県神社誌の記載も「水分神社」で、高良廟や毘沙門天堂というもともとの素性はまったく記載がありません。ただ、こうやって現地を訪問すればお榊ではなく花が供えられ、線香がたかれており、残せる範囲で昔の姿に戻そうとする意図がつたわってきます。


通常であれば左の奥の院コースから高良大社に向かうのですが、さすがに元旦はほかの参拝者と多数すれ違うことが予想されるため、いちど市道に出て、尾根コースから高良大社をめざします。
久留米市街をながめて2回目の休憩です。
高良大社の社殿裏手までやってきました。ここで右に向かうと、車祓い所や私がよく車を停めている駐車場の前にでます。この道はさすがに元旦は車がいっぱいで歩くのは危険でしょうから、今回は左、旧参道側へ迂回します。


旧参道から高良大社の境内にはいります。前回10月の参拝時に、家内安全のお札や神棚の御札はあたらしいものをいただきましたので、今回は、干支の一刀彫だけいただきました。


旧参道や現在の参道とはべつに、むかし「つつじ園」として整備された遊歩道があります。傾斜がゆるやかなのでいつも利用している道です。途中の東屋で、屋台で買った豚バラ串をいただいて昼食としました。
眼下は正月3が日のみ運行される臨時バスの停車場で、ちょうど西鉄久留米行きのバスが出発するところでした。
普段なら麓から車で5分もあれば到着する道なのに正月3が日の混み具合はすさまじく、下手すると90分ほどかかります。この混雑が嫌でむかしは臨時バスを利用していたのですが、それすら面倒になり、いまや麓から歩くようになってしまいました。


この日記ではまず登場しない、ほんとうの参道を下ります。この石段の参道は苦手というか、むかしから嫌いでした。寺社としての威厳を重視して大きめの石を石段につかっているため、しっかり足をあげないとコケます。段差のない登山路がほかにもいっぱいあるのに、敢えてこの道をとおりたくはありません。
元旦は15分~20分おきに西鉄久留米から臨時バスがやってきます。渋滞のなか、山中を登る臨時バスの姿がみえました。


もとの本坊・大宮司邸跡の山門が見えてきました。ここで左に曲がってまっすぐ行くと、大学稲荷神社にむかう分岐に出ます。
歴代の座主と開祖を祀る座主墓で手をあわせます。


大学稲荷神社がみえてきました。車道の登り車線は午後2時なのにまだまだ大渋滞中です。


近所でこの規模のお稲荷さんをほかでみた記憶がありません。高良山座主が伏見稲荷から勧請を受けたさい「大学」の名をもつお稲荷さんをいただいてきたので「大学稲荷」とあります。


裏手には三九郎稲荷、三四郎稲荷と、お稲荷さんだらけです。


坂を下ったところにも俗称「小学稲荷」があります。
「筑前筑後稲荷十社第一之社」の扁額は坂の上の権現造の社殿ではなく、むかしからここに掲げられています。元旦や祭事の日いがいは閉め切られているこのお宮がなぜ「第一之社」なのか謎でしたが、元々はここが高良山のお稲荷さんだったそうです。
あらためて伏見稲荷から勧請しなおし、立派につくりなおしたのがいまの大学稲荷とのこと。
裏手にまわると、狐穴があります。つまり、御祭神は神使の狐さんなのです。
「大学稲荷前」バス停まで歩いて、今日の運動は終了です。
8.3km、約3時間かかりました。
左が今日いただいた、うさぎの一刀彫で、右は2011年にいただいたものです。
12年我が家にいてくれた一刀彫を神棚からおろして、今日いただいたものと交換しました。ふるいほうは、ふるいお札といっしょに神社の古札納所に持ち込もうとおもいます。