松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目 湊川神社


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湊川神社

湊川神社 - Wikipedia

祭神
主祭神:贈正一位橘朝臣(楠木)正成公
配祀神:
贈従二位楠木正行卿
贈正三位楠木正季卿
菊池武吉命・江田高次命・伊藤義知命
箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命
和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命
冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命
宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命
南江正忠命
本殿合祀:摂社甘南備神社(祭神:大楠公御夫人滋子刀自命)

楠公を祀る神社です。

立派な社殿の向かって右側には、天満宮がありました。菊水天神と呼ばれているそうで、どこにいっても天満宮がありますね……。

私本太平記 - Wikipedia

室町時代に成立し、鎌倉幕府滅亡から南北朝時代を描く軍記物語で、近世以降の文学にも影響を与えた『太平記』が題材である。
明治体制では天皇に背いた大悪人とされた足利尊氏(高氏)、南朝の大忠臣として美化されていた楠木正成など、イデオロギー的に語られ、戦前は一種のタブーであった日本の南北朝時代を、尊氏を主役に新たな解釈を加えて描く。楠木正成も温厚な苦悩の人として描かれ、戦前の忠臣のイメージを大きく変えている。

むかし吉川英治の「私本太平記」でこの時代についての印象を持ってしまったということもあり、とにかく権力のためならだれでも裏切る足利尊氏と、わけわからん権力者と時代の流れに振り回されて苦悩する楠公というイメージが出来上がってしまい、のちのち苦労した記憶があります。

とはいえ、一度は来てみたかった場所でした。

史蹟【楠木正成公殉節地と御墓所】|神戸の名社・湊川神社 | 湊川神社

湊川の戦い後、地元の人々にひっそりと祀られていた楠公の墓が初めに明かになったのは、豊臣秀吉の太閤検地でした。その後、尼崎藩主青山幸利公により五輪の供養塔が建てられました。大日本史を編纂し日本の国柄について深く思いを致していた徳川光圀公は、正成公を非常に敬慕され、元禄5年(1692)に佐々木宗淳を遣わして、建碑費183両余の正成公の墓碑を建立されました。
「嗚呼忠臣楠子之墓」の8字は光圀公自らが筆をとられました。また裏面には明の遺臣朱舜水による散文が岡本元春の筆により刻まれています。大楠公の誠忠を最もよく表しているこの名文は多くの人々を感動させました。

万歳しながら記念撮影しているかたをはじめ、神社のほうにはかなりひとがいたのですが、有難いことに墓所のほうは誰もいませんでした。お賽銭をあげて、ろうそくと線香を買い求め、お供えしました。

こういう神社で取り扱う杉線香のかおりは独特のよさがあります。家のなかでやると煙がけぶくて仕方がありませんが、外だと、煙が飛ぶので香りをあじわうことができます。墓参線香とされるだけのことはあります。

このお墓を建てるのに尽力した水戸光圀公の像もあります。

「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字は水戸光圀公の直筆が元になっているそうで、裏の碑文は朱舜水(水戸藩お抱えの儒学者)によるもの。読み下し文による説明がありましたが、読めません。

解説書は300円とありますが、誰も居ないのでとりあえず無料とおぼしきパンフレットだけもらって帰りました。

パンフレットの縮小コピーをそのまま掲載します。

湊川神社の境内にある楠本稲荷神社(くすもといなり)は、この地にもともとあった神社だそうで、いわば地主神にあたるとのこと。こちらにもお参りさせていただきました。

(2022.05.14訪問)