松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

佐賀県鳥栖市田代外町 田代外町天満神社


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久光製薬九州本社・鳥栖工場に取り囲まれるように建つ神社です。

現地案内板によれば、畑の持ち主である荒木さんが菅公の御神像を掘り出した縁で創建されたとのことです。

対馬府中藩 - Wikipedia

対馬府中藩(つしまふちゅうはん)は、江戸時代に対馬国(長崎県対馬市)全土と肥前国田代(佐賀県鳥栖市東部ならびに基山町)および浜崎(佐賀県唐津市浜玉町浜崎)を治めていた藩である。別名厳原藩(いづはらはん)。一般には単に対馬藩(つしまはん)と呼称されることが多い。

基肄郡 - Wikipedia

中世

戦国時代には、少弐氏一族の筑紫氏が当郡を支配していた。
豊臣秀吉の九州平定後の天正15年(1587年)に、当郡と養父郡東半部は小早川隆景の所領となりました。その後、豊臣家の蔵入地を経て、対馬の宗氏の飛び地領として対馬藩田代領と呼ばれる。

近世

田代領の統治は、田代代官所が行っていた。田代領は三郷両町に分かれていて、3つの郷は基肄上郷、基肄下郷、養父郷(養父郡東半分)、2つの町は田代町、瓜生野町である。代官所の上役は、対馬藩府から派遣された役人であったが、下役は地元の武士である。三郷は、庄屋などが採用されて民政にあたっている。

対馬藩の所領となるまえは小早川家、豊臣家の支配をうけていたわけで、土地の持ち主も変転したのかもしれません。荒木さんの前の持ち主が、戦乱を避けて埋めたものか、なにか事情があったのかまではわかりませんが……。

社殿正面向かって右手に、境内社のお稲荷さんと庚申塔が並べられていました。

(2022.05.11訪問)