松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市中央区港3丁目 住吉神社


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造船所の入口付近にある神社です。

境内の仏像も、ヘルメットっぽい帽子をかぶっています。

神社でよく見かける「~中」では意味がつうじがたくなっていたのか、「町内一同」と彫られていました。昭和30年代あたりだと、たまにみかけます。平成近くになってくると、逆にむかしを意識して「~中」をつかうようになりはじめます。

波戸の住吉神社と午砲場跡

荒戸山の下にある港の波戸は、寛永2(1625)年2代藩主黒田忠之(ただゆき)が荒戸山の下に船をつなぎ止めるための船入(ふないれ)を造ったのが始まりです。その後、何度か船入の堤防の改修や増築が行われ、波戸が海に延びてゆき、最終的には享和元(1801)年に完成しました。翌2年10月5日には新波戸に住吉神社が勧請され、港の守護神として鎮座しています。
また、この波戸には午砲場もありました。明治31(1898)年,博多時間を解消し、時間厳守の啓発のために須崎の旧福岡藩台場で発砲が始まりました。その後、西公園山腹に移され、さらにその後に波止場の突端「住吉橋」の後ろに午砲を入れる小屋が建てられました。昭和6(1931)年にサイレンにバトンタッチするまで正午の時報「ドン」は続きました。「ドン」に使用された大砲は、現在福岡市博物館に展示されています。

ここに出てくる「博多時間」というのは、わざと遅れて到着することをいいます。えらいひというには「早着は相手に気を遣わせる」「偉い人が早着すると下っ端はもっと早くから準備しないといけなくなる」ので、目上・上位のかたは時間より数分程度遅れるのが礼儀とされていたのが、いつのまにやら変質し、みんなどんどん時間にルーズになっていきます。時間に遅れることが自らの格を示すための行動となるからです。893や政治家が出席する会合で、大物(とおもわれたいひと)ほど後からやってくる、あれですね。私のように自分が木っ端で貧窮で最下級国民だと事実をみとめ30分早着を自らに課すようなせせこましい男は、鼻で笑われます。

少なくとも私が子供のころは(上記のような正確な意味からはずれ)「博多時間」というのは、時間をまもらない博多や九州の東京からみるとクソ田舎の人々を、東京(都会)のひとが馬鹿にするときにつかう言葉でした。てっきり向こうのひとが南国ボケで時間にルーズな野蛮人どもめと侮蔑するための言葉なのだろうとおもっていましたが、大学卒業して公務員になり「もともとはそうではない」と言われて、驚いたことをおぼえています。

しかし、時間に遅れることが礼儀って、いったいどんな社会だったのでしょうね?

想像もつきません。

福岡県神社誌:下巻379頁
[社名(御祭神)]住吉神社(三筒男命、火産霊神、奥津日子神、奥津日売神)
[社格]無格社
[住所]福岡市荒戸町
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.05.09訪問)