松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

飯塚市片島1丁目 宮地岳社(宮地嶽神社)


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勝盛公園の頂上部にある神社です。

鉄筋コンクリート造の拝殿は、鉄製の扉が錆び蝶番が壊れて動かなくなっています。

拝殿の中には落書きもみられ、ところどころコンクリートが剥げて鉄筋がむき出しになっています。放置されてだいぶ経つようです。

この宮地嶽神社は、福岡県神社誌では「宮地岳社」という社号で掲載されています。

御祭神に「勝守神」と、なかなか見慣れぬ名前があり、以前から気になっていました。今回やっと初訪問です。

本殿の左右にも石祠があり、裏側にも石祠があります。

ベンガラの吹付が、いまも高級感を漂わせる社殿のなかを拝謁させていただくと、たしかに「宮地嶽 勝守大神・勝頼大神・勝村大神」とあります。

左右と裏側の石祠を眺めているうちに、正面向かって左手は山王権現(日吉神社)だろうと見当はつくのですが、あとの2社がわかりません。

御祭神

本殿
勝守大神、勝村大神、勝頼大神
神功皇后、藤之高麿、藤之助麿

左殿 大山咋命 日吉 松尾大社
右殿 宇迦御魂命分霊 扇森稲荷
後殿 大山祇命 炭坑の山神

当筑豊地区は江戸時代より百年以上に渉り石炭採掘の守護神として大山祇命を祀って栄えて来た乃であるが各地の炭坑の閉山に伴い四国の本社へ御帰りを願って居る炭坑も有りますがここに勧請し大山祇命の御徳乃偉大さを感謝し後世に伝えんとして合祀す

昭和四拾六年拾月吉日

ここで、勝守大神とは神功皇后の別名であることがわかります。

麻生の足跡−地域とともに−〈麻生グループ〉

勝盛公園の前身である勝盛山公園ができたのは大正10年のこと。まだ地方都市に公共の公園があること自体が珍しかった時代に、頂上に宮地嶽神社を持つ小高い丘に遊歩道や植栽などを整備した4896坪の公園としてスタートしました。勝盛公園が現在の規模になったのは、昭和になってからのことです。昭和10年1月、麻生の2代目・太賀吉が、昭和8年12月に亡くなった初代・太吉を記念して、市営勝盛公園に隣接した8895坪の土地を飯塚市に寄付。「櫨山(はぜやま)公園」として開放しました。

勝盛公園の勝盛とは「勝守」の言い換えで、いわば神功皇后公園とでもいうべき場所なのです。

福岡県飯塚市にある神社 曩祖八幡宮(のうそはちまんぐう)

曩祖八幡宮 - Wikipedia

神功皇后が三韓征伐からの帰途、納祖の森に祭壇を設けて天神地祇を祀り、長年つき従った九州の臣たちと別れを惜しんだと伝えられる。このとき、人々が「またいつか尊顔を拝し奉らん」と口々に言い、この「いつか」が「飯塚」の名の由来であるという。 

ここから近いところに神功皇后と関係のある曩祖八幡宮があり、この宮地嶽神社も元々は、関係があったのではないかとおもわれます。

福岡県神社誌:下巻400頁
[社名(御祭神)]宮地岳社(勝頼神、勝村神、勝守神)
[社格]無格社
[住所]嘉穂郡二瀬町大字片島字笹尾
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.05.04訪問)