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佐賀県佐賀市白山1丁目 龍造寺八幡宮


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龍造寺八幡宮 - さがの歴史・文化お宝帳

慶長12年(1607)、初代藩主鍋島勝茂の時に旧城内にあったものが移転された。
鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を祀ってある。
又、境内には「楠神社」があり、その傍らには「義祭同盟」や「非理法権天」の碑も建立されている。
「佐嘉城廻之絵図」などによれば、社殿は現在よりも南の方に位置し、その境内もかなり広かった。

龍造寺八幡宮 - Wikipedia

創建は『県神社志要』によれば1187年(文治3年)とされ、龍造寺氏の祖である南次郎季家が佐賀龍造寺村の地頭職となった後に、鎌倉の鶴岡八幡宮を分霊を勧請したとされる。創建当時は同氏の本拠地である村中城本丸内にあったが、慶長年間、鍋島勝茂による佐賀築城の際に現在地近くに遷座した。以来この地は八幡小路と呼ばれたが、1901年(明治34年)頃に境内を北方へ拡張移転したため、現住所は八幡小路ではなくなっている。
(略)
神紋は八幡神社ならではの巴紋ではなく、龍造寺氏の十二日足紋と鍋島氏の杏葉紋であることが、神社の性格をよく表していると評されている。

祭神
主祭神:応神天皇(誉田別尊)
相殿神:玉依姫命、天児屋根命、住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)

なかなか立派な社殿は、1901年(明治34年)に道路拡張のため現在地に移転したさいに建てられたものとのこと。

それにしても不思議なのは天児屋根命(=天之忍穂耳)が御祭神に加えられていることです。どこかの神社を合祀したものでなければ、鍋島氏か龍造寺家が加えたものなのか……。

(2022.04.27訪問)