松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

久留米市三潴町高三潴 弓頭神社


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鳥居、翼廊、楼門、拝殿が整然と並んでいます。

境内の掲示板に、おそらく戦前に描かれた名所案内の一部が掲載されています。熊野速玉神社が境内のなかに移転してきたこと以外は、基本的な配置に変更がないことがわかります。この両社は、場所的な問題でここにまとめられたものであり、それ以上の意味合いはないようです。

立派な藤棚がこさえられていました。蜂が蜜をあつめに来ており、羽音で騒々しいものの、ミツバチなのでこちらから叩いたりしないかぎり、襲ってはきません。

楼門の装飾もなかなか見事です。

社殿もいたるところに装飾が施されています。

弓頭神社(旧郷社)

本社は水沼別の始祖、国乳別皇子を主祭神とする。
成務天皇紀は「昔、国造を封せられる時は必ず楯矛を賜ひて其表とす」とあり、第十二代景行天皇の皇子国乳別皇子が「古式に則り、弓箭楯矛を賜りて、下向し給ひ、高三潴の地に御在所を定め給ひて、久しく筑紫地方を治め給へり」に由来するものと思われる。

この高三潴は、水沼君累代の政治の地であり、古代行政・文化の中心として繁栄した処である。

古伝説に「神功皇后征韓の砌、弓大将なるが故に、弓頭大明神と称え奉られる由」と云い伝えられたとの説もある。

国乳別皇子の御墓は烏帽子塚(弓頭神社御廟塚とも云う)と称し、本社西北三町(約三〇〇メートル)許りの処にある。明治六年六月、郷社に定められる。なお、神社が所蔵する銅剣、石包丁、石戈、耳環は町の文化財に指定されている。

平成十年三月 三潴町教育委員会

3年前に訪問したときは理解がおよばなかったのですが、この案内板は重要な点がよくまとめられています。

まず、水沼君は水沼「別(わけ)」であり、これまでの皇室(=九州王朝)からみれば傍系・別系であることを堂々と宣言しています。

うきは市浮羽町浮羽 浮羽島 - 美風庵だより

うきは市浮羽町高見 弓立神社 - 美風庵だより

水沼別(水沼君)は、天之忍穂耳~御年神~景行天皇(おしろわけ)の系統につながる存在であり、彼らが九州王朝の支配地をどんどん傘下におさめていった過程と、この三潴の地がその地域制圧の拠点になったことが簡潔にまとめられています。

「神功皇后の弓大将~」という話は、おそらく権威付けのために創作されたものか、まだ九州王朝簒奪以前の話か、いずれかでしょう。

弓立神社では、景行天皇が熊襲征伐を弓に祈願しました。このときは弓をひもろぎとしたと考えていましたが、どうもそれだけではなさそうです。

弓大将・弓頭大明神と称される名手が居たのなら、単なる祈願ではなく、実力行使をともなったものであったはずで、その功績で、この地を与えられたのかもしれません。

境内には、ほかにも熊野速玉神社と天満宮がありました。

3年前はなにか関連があるのかとかんがえましたが、あくまでも神社を一か所にまとめただけのようです。

過去の訪問記録

高良御廟塚 - 美風庵だより

福岡県神社誌:下巻6頁
[社名(御祭神)]弓頭神社(国乳別皇子、若皇子命)
[社格]郷社
[住所]三潴郡三潴村大字高三潴字宮脇
[由緒](略)
[境内社(御祭神)]須佐能男社(須佐能男神)、天満宮(菅原神)、建埴安神(埴安命)、美都波能売社(美都波能売神)、薬師社(大己貴命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.18訪問)