松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

10月29日の日録

「ステキな恋の忘れ方」

youtu.be悪い大人の歌が
あまく せつなく響く
恋がはなやかなうち
少し さみしそうに
あなたのそばで 踊らせて 

ブログチェックをしていて、井上陽水さんが作詞作曲した曲にふれたものがありました。薬師丸ひろ子さんの「ステキな恋の忘れ方」も井上陽水さんの作品で、これ、むかし好きでした。ふとおもいだしたのでyoutubeを引用してみた次第です。

「藤羅絆木」と「錦上添花」

29日、高良山登山に行きました。途中、雑木にほかの木がからみつき、そのまま両方とも立ち枯れしているものをいくつか見かけました。

この日記、いまや投資日記なのか神社探訪記なのかわからなくなっていますが、もともとは高校のころから読んでいた占い(奇門遁甲などの方位術、四柱推命、易占)がメインの予定でした。絶望的にアクセス数が稼げないため、ほぼ封印状態ですが……。

奇門遁甲では、各方位や個人の運命に割り当てられた十干があり、天盤・地盤で10×10、合計100通りの吉凶があるとされます。ほかの要素も判断材料としますが、まずは天盤・地盤の組み合わせでかんがえます。

天盤が甲・地盤が乙の組み合わせを「藤羅絆木(とうらはんもく)」といい、逆に、天盤が乙・地盤が甲の組み合わせを「錦上添花(きんじょうてんか)」といいます。

いろんな占い師のかたが教本を出されているのですが、吉凶の判断がわかれる例のひとつです。どんな占い師でも吉凶の判断がそろう組み合わせもありますが、そうでないものも、おおいのです。

甲とは大木を指し、乙は草花を指します。

大木にツルや他の木がからみつくのが「藤羅絆木」で、占っていてこれが出たら、面倒ごとに巻き込まれるだろうと判断します。無職DVのダメ亭主と、問題行動だらけのドラ息子を抱えて絶望する母親のような状況です。奇門遁甲は八門・九星・九宮・八神といった他の要素も加えて判断するため、天盤地盤が「藤羅絆木」でも、ほかがよければ、肝っ玉かあちゃんとして周囲を引きずっていき、結果は吉と判断することもあります。

ほかの要素が最悪だと、とうぜんのごとく行き詰まり、立ち枯れです。

占い師の教本で吉凶がわかれるのは、たいてい最後は好転するという点を重視するか、最初がどん底かを重視するかにつきます。こういう吉は、吉と書いてあっても喜べません。個人の運命をいくら検討したところで、地震や災害、戦争のような国家レベルの運命には逆らえません。生きていれば好転したとしても、強制終了した時点ではどん底のままという可能性があるからです。

逆に、大木に絡みついて高い位置で花を咲かせるのが「錦上添花」です。

非常に口のわるい言い方をすると、金持ちをつかまえて玉の輿に乗るようなもので、本人の実力以上に社会的な地位とおカネを得ることができると判断します。むろん、絡みついた大木が枯れてしまえば元も子もありませんが、さきにせしめられるものはせしめているため「藤羅絆木」と違って、ほかの要素がわるくないかぎり、一気に転落はしません。将来性や安定性には欠けますが、人生の最初のほうにチャンスがめぐってくるわけですから、こちらは吉と判断してよい気がします。

まぁ、一発屋のタレントさんみたいに、あとは転落人生まっしぐらで警察のお世話になりっぱなしなんてこともあり得ますから、微妙ですけどね……。

やはり高校のころから占いにはまっているせいか、雑木の生え方ひとつみても、占いの判断基準について考えてしまいます。趣味って恐ろしい……。

高良山登山

だいぶ涼しくなってきました。気分転換に、高良山登山をしました。

西鉄久留米駅に到着し、1階のバス乗り場に移動すると、ちょうどよく目のまえに田主丸方面に行くバスが停まっていました。

追分」バス停で下車します。

高良山ハイキングコース案内(登山地図)

今日は王子宮コースからつつじ公園に抜け、奥宮、高良大社に行き、下山する予定でした。

王子宮の参道沿いにある銀杏の木に、こんな由緒があったと知りませんでした。学生のころから20年以上何度も歩いているはずなのに、いまごろ気づいてしまいました。

久留米市山川町 高良御子神社(坂本神社・王子宮) - 美風庵だより

王子宮(高良御子神社)と坂本神社で、事故にあわないようお願いをしました。

大雨で山崩れを起こした現場の復旧工事が行われており、王子宮コースは通行禁止となっていました。しかたがないので予定を変更し、妙見神社コースから、高良山をめざすことにしました。

王子池の横を歩き、下山後にお茶を沸かして休憩したこともある東屋のよこをとおりすぎます。

妙見神社コースは、現在「九州オルレコース」の一部となっているため、道はよく整備されています。

途中に薬師堂があります。「神社めぐり」で取り上げたいとおもっていたのですが、道が崩落しており、とても近づけませんでした。

どんな様子か見に行くと、だいぶ落石はかたづいたものの、あいかわらず崩落しっぱなしです。よじ登って先にすすむと、すでに仏像はありません。避難させたようです。

入口の崩壊した部分から先にすすむと、薬師堂本体は無傷でした。とはいえ、おそらく誰も寄り付いていないせいか、傷みがすすんでいます。薬師様も台座が傾いてしまっていました。

久留米市山川町 高木社(妙見神社) - 美風庵だより

妙見神社の前をとおりかかったので石段を登り、お参りしてから先にすすみます。

JR久留米大学前駅ができる前は、JR御井駅からの登山経路としてこのコースが案内されていたこともあり、いまでもすれ違うかたが多くみられます。

高良山茶屋横の駐車場と公園までたどり着きました。
九千部山・背振山・天山と、福岡県と佐賀県の県境や、佐賀と唐津の境界にある山々を一望できます。

私は石段を歩きたくないので、車で来ると社殿裏手の駐車場に停めますが、ほとんどのかたは三の鳥居をくぐり石段を登らないと神社に来た気がしないらしく、この駐車場に停めて、石段を登られます。

高良山茶屋 望郷亭 - 御井/うどん | 食べログ

汗がひいたら、高良山茶屋で肉うどんとお稲荷さんをいただきます。

優しい味わいです。讃岐うどんが本場だとおもっているひとにはこの柔らかい麺は信じられないでしょうが、子供のころから食いつけたカツオ節が利いた「うろん」そのものです。すめ(スープ)までぜんぶいただきます。

肉うどんをいただいて代金を払い、目のまえの三の鳥居を久しぶりに登ろうかという気にいっしゅんなりかけたのですが、やっぱりいつものとおり、つつじ公園内の坂を登ります。

ちょうど、御神鶏のニワトリ小屋の横に出ます。

社殿がみえます。以前、このニワトリ小屋の前はつかわれていなかったのですが、社殿修復工事のあとくらいから、職員や工事屋さんの駐車場としてつかわれるようになりました。

この手水舎の横に植えられた桜、夏場以外ずっとチラホラ花をつけています。葉っぱが落ちているのに花だけ咲くのも、不思議な気がします。

社殿を奉納した有馬家の家紋(有馬巴紋)があちこちにあります。中筒男尊(崇神天皇)を示す宇佐神宮や下関の住吉神社で見ることができる「流れ三つ巴紋」や「水巴紋」に意匠が近いためか、玉垂命を封じ込めるためにこんなにあちこちついているのかと、つい邪推してしまいます。

賽銭箱には、ちゃんと木瓜紋があります。賽銭箱とか、幕とか、取り外して隠せるものには木瓜紋があるんですよね……。

穴守稲荷のお守りといっしょに持ち歩いている八方除けのお守りを3体いただきました。お守りの買いだめはするものではないらしいのですが、汚れて汗臭くなってきたら交換できるよう、来たときに多めにいただいておきます。

自販機で不二家ネクターを買って休憩です。

神籠石を横目に、尾根コースで奥宮に向かいます。

この神籠石、むかしはこれが重要な遺跡だと知らず、腰かけて休憩していました。

ネコさんが後ろから前からついてきます。「ごめん、お菓子はもってない」と声に出して言うと、どこかに行きました。話がわかるのでしょうか?

奥宮の鳥居がみえました。このまま向かってもよいのですが、休憩を兼ねて、つつじ公園の売店に向かいます。

つつじ公園の売店で休憩していると、ちょうど自宅のある方向をながめることができました。こんなによく見えるものなのかと、ちょっと感動してしまいます。

つつじ公園の売店から先にすすみ、南側にまわりこむと、奥宮が見えてきました。

明治以前は玉垂命の廟所「高良廟」とされていましたが、現在は水分神社というのが正式な社号です。水を汲みに来たり、ザルで小銭を洗うひとがだいたい数名いるのですが、今日は、夫婦らしき二人組だけでした。

ミミズさん発見。大ミミズは縁起がいいという話をむかしきいたことがあります。運だめしに、ロト6を1口買ってみました(アホまるだし)。

木々のすきまから、はるかに遠く有明海のむこう、佐賀と長崎の県境 多良岳がみえます。

また、高良大社まで戻ってきました。まさか素通りというわけにもいきませんので、再度、拝殿にお参りします。

御神幸行列の姿が陶板で飾られているのですが、神器をはこぶ姿も描かれています。ここにはいわゆる「三種の神器(宝器)」があるのです。

帰り道、神籠石の横を歩いて下山する神籠石コースにしようか、(これまでの体感上)いちばんはやくバス停にたどり着ける高良内コースにしようか迷い、高良内コースを選択します。

久留米市高良内町 赤星神社(妙見宮) - 美風庵だより

妙見神社が見えてきました。福岡県神社誌では「赤星神社」で掲載されています。

下谷」バス停に到着です。ここから西鉄久留米駅まで、路線バスで戻りました。

約7km、3時間半の運動でした。