松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

周囲の静かな反響(補足)

思い出したので追記します。

周囲の静かな反響 - 美風庵だより

この文章は、上記のつづきです。

過去に自分が見聞し、じっさい首を突っ込んだ(突っ込まされた)事例で、思い出した点をいくつか補足しておきます。

墓(納骨堂)じまいをするとき。

墓地や納骨堂の管理料にもよりますし、運営形態にもよりますので、以下は、檀那寺の墓地や納骨堂に骨があることを前提に書きます。

もし墓や納骨堂を改葬するときは、ふだん寺とつきあいのある親から「子供のところで世話になるので、面倒をみることができない」旨、寺にまず伝えさせます。

規模の大きい、檀家の多い寺は、かりに1000世帯のうち1世帯が抜けたからといって死ぬことはありませんので、そこまで厳しくありません。しかし、檀家が数十軒くらいしか残っていない寺にしてみれば死活問題なので、かなりもめます。

寺と交渉させるのは、ひごろ寺とつきあってきた親だけにしましょう。

いくら坊主が生臭いといっても、ご近所に余計なことを言われてはこまるので、親にはそこまで法外なふっかけはしません。牙をむくのは、ひごろ付き合いがない(遠隔地に住んでいる)子供相手です。

2回ほど聞いたのは「お子さんと話をさせてくれ」と坊主が言い出すことで、このときに子供が行くと、子供は他人だと割り切って、坊主はかなりの剣幕で暴れます。可能であれば、親に「わたしの意思で子供にお願いしている」と言わせ、坊主からの吹っ掛けを断ち切るのが上策で、うっかり子供がひとりで行っていろいろ言われてしまったら、つぎは親を同席させ、そこで向こうの態度を見極めることです。

結局のところ、墓地も納骨堂も寺の言い値ですから、払わなければ向こうは撤去するだけです。あと、なぜか墓石の撤去は寺と提携した事業者じゃないとダメ、と言い出すことがありますので、確認が必要です。

納骨堂はだいたい、つぎの利用者を連れてくればすぐ寺も引き下がります。親にたのんで、同じ檀那寺で納骨堂がもう1区画欲しいひとをさがしてもらっておきます。

いずれにしても、親が死んでからいきなり子供が寺に行って墓を撤去して改葬するとやるのが、もめるもとです。これまでつながりがあった親が生きているうちに、整理しないといけません。

ただ、規模が大きい(または収入に余裕がある)寺でもめた話は聞きません。

規模のわりに納骨堂や墓地の管理費が高いところは、檀家が少なく、もめる寺の可能性があります。

共有林や入会地。

むかしながらの農村の場合、集落全戸の共有林や入会地を共有している事例があります。

これも集落に20軒、30軒と家があるうちにはそうもめないのですが、いよいよ限界集落が近づき、残り5、6軒なんてことになると、一軒抜ければほかの世帯の支払いが増えるため、もめます。

「親の共有分は息子が払わんか!残り*軒で払えるか!」とクレームの電話がかかってきて、家を引き払ったあともしぶしぶ納めているケースがありました。

固定資産税を誰かが取りまとめて払っているわけですから、その取りまとめをしているひとのところで地番と課税明細書を確認し、法務局で登記簿をとって共有の状況を確認しましょう。

登録免許税がどのくらいかかるかは、課税明細書と登記簿を持参して司法書士事務所で相談すれば、おおよそはわかります。実家の持ち分を放棄するということは、他の共有者からみれば自分の持ち分が増えるということなので、関係者全員での申請が必要です。

ここで問題は、要らない負動産の持ち分が増えてもだれも喜ばないことで、きれいさっぱり整理したければ、全員分の費用は抜ける側が持つくらいの気持ちでいないと、終わりません。田舎の負動産処理だということを忘れてケチケチ心から「持ち分増えるんだったらそのぶんくらいはやってくれ」なんて言おうものなら、手続きは止まります。

そしてこれも、親から他の共有者に「抜ける」旨を伝えさせることです。

田舎はどうしても長幼でものを判断するひとが多く、外の社会での肩書職歴ではみてくれませんから、親の世代の交渉は、親の世代にやらせておかないと、先にすすみません。

結論。

ふと思い出したぶんを追記しましたが、もし負動産の整理と家じまいをねらうなら、親が生きているうちに、まず現状を聞き出し、どこまで費用を持ち出せるか、しっかりかんがえておく必要があります。

ひとことで言えば「どんな田舎も去った者には冷酷非情が当たり前」。最初からそのつもりで、しっかりと身辺の整理をすることです。