松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福津市津屋崎4丁目 波折神社


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波折神社 | 福岡県福津市

鳥居や拝殿の扁額は「波折宮」とあります。

2006年9月19日〈津屋崎学〉004:産土神は「波折神社」か - 吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

〈六信仰 (一)ムラで祀る神〉のくだりには、〈村落神 波折神社を氏神という〉とある。〈波折神社〉については、〈祭神、住吉大神・志賀大神・貴船大神〉と書かれている

この文章を書くにあたり、とうぜんいろいろとgoogle検索なぞやってみたりもするのですが、どうやら地元の認識では、瀬織津姫と貴船大神が同一視されているようです。

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波折神社縁記

祭神:瀬織津大神、住吉大神、志賀大神の三座、縁起によれば神功皇后の新羅を遠征せられ凱陣し給いし時に、この三神当浦渡村鼓島に現われ給いしにより皇后この浦の岡分、河原崎の宮之本という地字に神垣を造りて斎祀せらる、昔この浦の漁夫三人沖に出て釣せしが大風荒波に遭い雷鳴さえも加わり海大いに震動す故に漁夫諸共にこの三神に救いを祈りし処、忽ち御姿を現し給い隆起する波穂の上に立ち給いて雲の如き波頭を御袖をあげて打ち払い給うと見えしが逆巻く荒波は見る間に治まりて遥かの沖に過ぎ、暫時海上静かとなりし故荒波を折って辛うじて舟は鼓島に漂着、風待ちすること三日飢え迫りし折柄再び先の三神現われ給い飲食を与え給う、これを食すと覚えが、忽ち人ここちつき力の限り波涛を凌ぎてこの浦に漕ぎ着けたり、初め三神の舟上に現われ給し跡に三箇の石あり棒持して帰り御神体として祭り、これより波折大神と称し奉る。かくていにしえ彼の河原崎の宮之本に祭られしより時移り八十四代順徳天皇の承久三年(西暦一二二一年)此処に移し奉る。
境内末社
蛭子社 鷺大明神社 稲荷明神社 荒神社 須賀神社 六之神社 天満宮 皇大神宮 秋葉明神社 大海積神社

瀬織津姫についてはよくわからないのですが、まず、神功皇后の三韓征伐が由緒に語られているということは、少なくとも瀬織津姫=神功皇后とは認識していないということです。神功皇后よりもふるい年代の神様のひとりであることはたしかなのですが、まだ確証はありません。

古代史研究家のかたには、奇稲田姫や天細女(あめのうずめ)をあてるかたもおられるようです。

ただ、玉垂宮神秘書の世界を基礎にかんがえてみると、おそらく瀬織津姫とされたのは神功皇后そのひとで、住吉大神が高良玉垂命(=底筒男尊)、志賀大神が安曇磯良(=表筒男尊)と考えたほうが、配神とのバランスはとれます。

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境内ところ狭しと境内社が並んでいるのですが、まず注目したのは「六之神社」です。

http://welfare.so-good.jp/gimin/061.php

 玄界灘に面し、近世から近代にかけて「津屋崎千軒」と呼ばれる繁栄を誇った筑前国宗像郡津屋崎(いまの福岡県福津市)は、かつてその北側に位置する勝浦との間での境界争いが絶えませんでした。
そこで津屋崎の浦庄屋・左兵衛をはじめとする6人が黒田藩に直訴し、この6人が重さ300貫(1トン以上)の大石を担ぎながら浜辺を歩いて力尽きるか、または大石を結わえた縄が切れた場所をもって境界とすることになりました。
寛永17年(1640)、浦奉行の立会いのもとで実行に移されるものの、6人は力尽きることなくどこまでも担ぎ続けたため、浦奉行が抜刀して強制的に縄を切ったといいます。
こうして津屋崎と勝浦との境界争いに終止符が打たれるものの、庄屋ら6人は直訴をしたために処刑され、地元の危機を救った「義民六人士」として教安寺に埋葬されたほか、「六社宮」や「六之神社」に祀られました。

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福岡県神社誌に稲荷社3社とあり、おそらくはこれかなとおもい近づくと、御神狐像があるのでなんとなくお稲荷さんとはわかるものの「唐津森」?

波折神社 | 福岡県福津市

江戸時代後期から廻船業で儲けた浜ノ町唐津屋の屋敷神を、昭和18年4月、唐津屋本家が移転。

なるほど、唐津屋の屋敷神なので唐津神(森)なのですね。

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唐津森神社の隣の佐礒社は、疱瘡(天然痘)除けの神様とのこと。男女一体ずつ閉じ込められてますね……。

福岡県神社誌:上巻155頁
[社名(御祭神)]波折神社(住吉大神、瀬織津姫神、志賀大神、菅原神、宇気毛知神)
[社格]村社
[住所]宗像郡津屋崎町大字津屋崎字古小路
[由緒](現地案内板とほぼ同様のため前半略)明治五年十一月三日村社に定めらる。菅原神、甫め太宰府に趣かれし時雨頻りに降りて御舟の篝火消へ漁人に火を乞ひ其の報酬として蓑笠を与へ給へり、後世之を神体として社を建て祀れりと云ふ。祭神菅原神(菅原神は祭神同一に付合霊せり)は字魚町無格社菅原神社、字天神町無格社天満神社として祭神宇気毛知神は字清田ヶ浦に保食神社として祭りありしを大正五年十一月二日許可を得て合祀せり。
[境内社(御祭神)]六之神社(義民六士)、須賀神社(素盞能男命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]恵比須社三社、稲荷神社三社、天照皇大神宮、秋葉神社、保食神社、天満宮、佐犠神社
(2022.04.15訪問)