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ちょうど清掃奉仕のかたがおられました。
写りこまない方向では、よい画像が撮影できませんでした。
鎮宅霊符の本宮・霊符神社
霊符神社は八代神社(旧妙見宮)の末社で霊符尊星をまつる。現在は亀蛇に駕した妙見菩薩が本尊である。「肥後国誌」には「妙見山ノ内赤土山ノ上ニアリ」と記され、「鎮宅霊符神」によれば百済国 聖明王の第三王子琳聖太子が八代に渡来の折に伝えられ、肥後国八代郡白木山神宮寺に鎮座したのが日本最初の霊符神とされている。霊符は上に太上神仙鎮宅霊符と題し、中央に本尊妙見の亀蛇に駕する像を図しその周囲に北斗七星、左右に七十二の秘法を書き、下に霊符の釈を記してある。これを信仰すれば除災興、富貴繁栄を得るといわれている。「鎮宅霊符縁起集説」には霊符金版を天平十二年(七四〇)聖武天皇のころ肥後国八代郡白木山神宮寺で梓(版木)にちりばめたと記されている。この金版は今はなく正平六年(一三五)に征西大将軍懐良親王八代に在住の折に版をつくらせて神宮寺の神庫に納めてから国中に流布した。
永正十一年(一五二四)宮原城主橘公忠が建物を改築し、現在の霊符版は加藤正方が工人に命じて彫刻させたものである。慶安三年 (一六五〇)一乗坊の僧秀安が社を建立し、明暦元年(一六五五)松井興長は本社に祈願をこめて高子原新地を築造し、その報さんとして田を寄付した。大正九年に霊符信者であった奈良県の吉里田興道氏・大阪府貝塚の種子島源兵衛氏等によって神殿・拝殿・石段など再興修築がなされた。その後九州各地の熱心な信者をはじめ妙見町四区の皆さんの奉賛によって展望台や東屋の設備がなされた。
平成三年三月吉日
再建記念碑に奈良県生駒郡三郷村とあります。
「さんごうちょう」と読むようです。奈良のかたがわざわざ再建されたのですね……。
過去の訪問記録
(2022.04.07訪問)