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JR八代駅から徒歩数分のところにある天満宮です。
赤黒のコントラストがつよめの社殿は福岡でもそうお目にかかれないもので、他県に来たのだという印象をつよくもちます。
祭神 菅原道真公
道真公は参議是善の子で幼い頃から文筆の才に長詩歌文章至らざるはなく資生煩る温厚学徳一世に聞え宇多天皇の御信任を得て 寛平九年には権大納言兼右近衛大将に任ぜられ藤原時平とならんで政治に参画するに至られました。醍醐天皇もまた公の至試至忠に深く御信頼は日日に厚く遂に右大臣に昇任されましたので時平等の嫉視をかひ其の讒に遭い大宰府椎師に貶されましたが天を恨まず門を閉じ客を謝しただ文墨に託して自ら遺る日ごとに恩賜の御衣を棒持して寵眷を偲び奉りつつ延善三年病んで五十九歳を以て西睦の配所の地に空しく薨ぜられました。
當時心ある人々が如何に悲嘆にくれたかは想像にあまりあろう亦後世の人を感動せしむること多く今に至るまで遺愛の梅の千古に清香を失わないが如く上下の尊崇頗る厚く文教の祖神として全國に天満祠を見ない処がない有様です。
當社は始め萩原祈祷の森に祀られましたが小西行長の災に罹り社殿ことごとく焼失しましたので加藤右馬正方興力津川茂兵衛定敏に依って再興されました寛永九年細川忠利肥後國に封せられ忠興は職を退き八代へ隠され三斉忠興は治水に意をそそぎ球磨川の河畔のよき地をトし堤防の安全のために社殿を現地に遷し祀られたのであります。
(2022.04.09訪問)