美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

宗像市鐘崎 織幡神社




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ひさしぶりに訪問しました。

佐屋形山を背にして鐘崎地区を見下ろす位置にあります。

三条実美 - Wikipedia

幕末には尊王攘夷・討幕派の中心的な人物であり、明治維新後は元勲の一人として右大臣、太政大臣、内大臣、貴族院議員などを歴任した。内閣発足以後の内閣総理大臣も兼任している。

扁額は三条実美公の筆になるものです。

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石段を登ることもできますが、駐車場と「京泊」バス停のあいだから車道がのびており、この坂道を歩いたほうが、疲れません。

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織幡宮

一、祭神 武内宿祢 住吉大神 志賀大神
二、縁起
 平安初期、朝廷の年中儀や制度などの事を書いた”延喜式”の中に、日本中の神社が記してあります。織幡宮は、筑前十九社の第二番目に記され、宗像郡内でも、宗像大社に次ぐ神社として記録されています。その昔、文字を持たない時代から、古代の人々は、山の神、海の神、岬にも神霊を感じて航海安全を「ちはやぶる神の岬」として祈った時代もあったと思われますし、織幡宮は武人、武内宿祢を鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎に祀ったといわれています。古文書に、元禄八年(一六九五年)社殿造立。元禄十六年(一七〇三年)拝殿成就と記され、古い歴史がしのばれます。

平成八年四月一日 

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沈鐘と巨石

昔の人は 金崎は鐘崎でここには海の向うの国から来た釣鐘が沈んでいると語りつぎ信じてきた そして宗像興氏や黒田長政など その権力にまかせてこの釣鐘を引揚げようとしたが失敗に終った ところが大正八年に 山本菊次郎なる人が万金を投じてこれを引揚げることに成功した しかし姿を現わしたのは 釣鐘ではなくして このような巨石であった 人びとはがっかりしたが いまでも本当の釣鐘は海底に沈んでいるとの思いを捨てかねている このような話は 沈鐘伝説といって諸国に例があるが ここのは そのもっとも有名なものである 沈鐘と巨石 夢と現実 まことに面白い郷土鐘崎の物語である

昭和四十九年十月

碑文 福岡県文化財専門委員 筑紫豊 

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海女発祥の地 鐘崎

ここ鐘崎は、古来風光明媚、海路の要衝として万葉の古歌に詠われ沈鐘の伝説で名高い。
先祖は鐘崎海人と呼ばれ、進取の気性に富み、航海術に秀で各方面で大活躍をした。特に潜水の技術に優れた鐘崎海女は「西日本の海女発祥の地」として有名である。
海女の出稼ぎ地であった能登・長門・壱岐・対馬には、枝村(分村)ができた。海女の使用した道具は、県の文化財に指定され保存されている。
ここに石像を建立し功績をたたえ、航海の安全と豊漁を祈る。

平成七年四月吉日

筑前鐘崎海女保存会 

なにげにしれっと「能登」とあります。石川県まで出稼ぎに行っていたのですね……。

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二の鳥居を過ぎてしばらく先からは、急な石段になります。
鳥居の正面向かって右手に遥拝所があり、その横から、さきほどの車道(坂道)に出ることができます。今回はこちらから社殿まであがらせていただきました。

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くねくねと曲がった坂道は社務所や本殿のすぐ下の神職専用駐車場まで続いています。

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神職専用の駐車場からも社殿まで坂道はつづいているのですが、道幅がなく、徒歩専用のようです。

途中に「沓塚」があります。武内宿禰が天に召された場所のしるしです。

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社殿の参道脇に休憩スペースがあり、そこから鐘崎漁港を1枚撮影してみました。

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はじめて訪問したときは境内社のお宮は古く傷んでいました。いつのまにか新調され、立派になっています。

画像の右手は須賀神社(祇園社)なのは当時と変わりませんが、左側の祠がどなたを祀っているものか、案内板も社号標もなくなってしまいました。はじめて訪問したときと同じであれば、白峰神社・稲葉神社・御崎神社のはずですが、さだかではありません。

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社殿向かって右脇にある境内社も、祠があたらしくなっています。こちらは社号標が取り付けられており、画像左が海原神社、右がえびす様です。

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帰りは参道の石段を下りました。途中に今宮社があり、こちらにも手をあわせます。福岡県神社誌では御祭神不詳となっており、謎の存在です。

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私が訪問した4月7日、気温が20度ほどありました。この神社ではよく猫に出くわすのですが、手水鉢に登ってゴクゴク水を飲んでいる姿ははじめてみました。

過去の訪問記録

織幡宮 - 美風庵だより

織幡宮(1) - 美風庵だより

織幡宮(2) - 美風庵だより

織幡宮 - 美風庵だより

藤原實美とは - 美風庵だより

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福岡県神社誌:上巻145頁
[社名(御祭神)]織幡神社(武内大臣、志賀大神、住吉大神、天照大神、宗像大神、香椎大神、八幡大神、壱岐真根子臣)
[社格]県社
[住所]宗像郡岬村大字鐘崎字鐘岬
[由緒]鎮座年月不詳、文徳実録曰嘉祥三年七月甲辰授筑前国織機神従五位下(此年八月散位従五位下高原王向(二)豊前筑前(一)実釼明鏡を諸社に奉らる、此時織機神に授位の官幣ありと云其明鏡三面千今存須す又一説に云此の明鏡は神功皇后三韓征伐の時、韓王奉献したるを後に当社へ納め玉へりとなり。)
三代実録曰貞観元年正月二十七日甲申京畿七道諸神進階筑前国従五位下織幡神授従五位上二月丁亥野朔遣使五畿七道班班幣諸神告以即位之由。
同書曰元慶元年十二月十五日辛巳授筑前国従五位上織幡神正五位下
延喜式神名帳曰筑前国宗像郡織機神社一座(名神大)文永二年八月九日官符曰織機大明神在鐘崎云々武内大臣之霊神也云々。
社記曰当社草創云々履中天皇年中武内大臣此岬に至り給ひて全身上天ありし所を和魂の表として是を沓塚と名づけやりて其霊地に荒魂の表を立て織機神社と号して壱岐真根子臣の子孫の人つたへて是を祭る云々。
同書曰代々之帝尊崇云々毎歳仲春四日に幣帛の勅使を下し其国司に詔して社氏神官共に此神を祭り奉る云々
同書曰当社武内大臣の神変力にて異敵退散のめでたき旗を織給へばとて代々の帝も尊崇ありて織機の神社と号し云々毎年十一月中の卯の日には新嘗祭の手向ありて他に異なりし叡慮なりき。此併我朝守護の霊神と云異国征伐の神功あるに報じてなり云々壱岐の直真根子と云人云々神とあらわれて壱岐の明神と号し奉り云々神社の相殿に祭る云々。
宗像宮古縁起曰金崎織幡云々本地如意輪観音垂跡者武内大臣之霊神也云々。
同書曰金崎織機大明神者武内大臣之霊神也神功皇后三韓征伐之時織赤白二旒之旗被付当神宗大臣之御手長故神明垂跡之時得織旗之名字也為異賊襲来海路於守護鎮居海浜云々。
往古の社領は葛原谷八町なりし由云伝ふ明治二年五月藩主黒田家より為御供米巳来年々米十俵宛寄附す。
明治三年十二月福岡藩廰より従前の寄附廃止更に永世三十五石寄附す(寄附内割十石は御供米とし二十五石は祠官壱岐貞蔵へ与ふ)明治五年十一月三日村社に定めらる同十年三月国幣中社宗像神社摂社に列せられ同十五年八月二十四日郷社に列せらる昭和三年八月県社に列せらる。
尚社説に述ぶる所を追記す。
同書三十二巻曰、元慶元年九月二十五日(癸亥)分遺中臣斎部両氏人於五畿七道諸国班幣境内天神地祇三千一百三十四神縁供奉大嘗会也織幡神亦在三千一百三十四神内応安八年(附記、応安八年は所謂北朝の年代にて吉野朝の大授元年に当れり)宗像宮祭祀次第記曰二月十六日第一宮事先於織幡神云々。宗像宮に奉幣の事あれば必ず織幡社頭にも奉幣の事ありしとなり。
応安八年宗像宮祭祀次第曰正月十六日織幡踏歌の事社務御参の時於祓河有祓此河縁立榊二本(禰宜役也)大御供三前小神供三十六前云々。
正平二十三年宗像宮年中行事曰織幡大明神正月十四日鈴合神事同十六日踏歌神事(吉田乙丸役)三月三日節句神事五月五日会御幸神事同日亥時還御事八月十四日放生会御幸神事同十五日寅時還御事九月九日節句神事同十一日御九日大神事(伝供御供)安延名役十二月十九日嶽祭神事(伝供御供)一年中毎月朔幣望祭神事二十四度永享九年宗像宮一年中毎月大小神事次第御供目録曰正月十六日織幡宮大御供三膳云々。
筑陽記云、織幡神社所出延喜式当国十九座の神延喜式神明帳宗像郡四座之内織幡神社一座と記せり所祭武内神也云々。
筑前早鑑云、織幡大明神是御神武内大臣なり云々延喜式神名帳所載なり、西海道神一百七座之内筑前十九座猶其内にも武内大臣は宗像四座の其一とし名神大とあり云々。
和漢三才図絵云、織幡神社 在宗像郡鐘崎浦 祭神一座 武内宿禰
筑前国続風土記云、延喜式神名帳筑前国宗像郡幡織神社一座名神大とあり、是筑前十九神の一也、武内大臣の神霊を祭る由云伝へり。中座武内大臣西は住吉大神東は志賀大神なり。文徳実録三代実録等の国史に此神に朝廷より位階を贈り給ひし事多し云々。
宗像著座次第記曰織幡大明神云々関白豊臣秀吉公肥前名護屋下向の時大宮司居宅を御朱印地となし玉ふ事あり云々、秀吉公此時社頭来詣の事云伝ふ。
筑前早鑑云年代不詳領主小早川隆景公社領を寄附し給ふ。
享保二年九月対馬守御初穂金神納せらる。
織幡大明神日御供寄進帳 享保十二年
福岡藩士一凡千人之寄附を定置年々其利米を以て日々の御供を備ふ云々×日御供料一人分米三升六合宛右帳簿現存
享保、宝暦、明和、安永、天明、享和、文政、天保、嘉永、安政、万延、慶応、以上年間国主参詣又は代拝御初穂金を献納せらるること屡なり。
幡織神社鎮座の鐘岬佐屋形山は風景絶佳古来其名顕はれ古歌多きも之を略す。
[境内社(御祭神)]須賀神社(素盞嗚命)、稲葉神社(宇賀御魂神)、海原神社(和多津見神)、今宮神社(不詳)、御崎神社(埴安命)、白峯神社(顕仁命)、直日神社(大直日神)、高殿神社(応神天皇)、根岳神社(平家臣霊)
[摂社(御祭神)]葛原神社(武雄心命、顕姫命)、山神社(大山祇命)、大歳神社(保食神)
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.07訪問)