美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

9月28日の日録



今日の運動(昼めし前の1時間散歩編)

今日も宗像市内でした。

昼飯前の空き時間で「神社めぐり」をします。googleマップでおおよそ3km。1時間あれば歩けるはずです。

国道3号沿いの「王丸」バス停です。このバス停近くの交差点にロイヤルホストがあり、そこに12時までにたどり着かないといけません。

この一帯は郊外店舗がずらりと建ち並び、北側(JR鹿児島本線側)は造成され日の里団地として発展、南側はむかしからの集落がある、なかなかコントラストつよめの地域です。

ふるい集落があるところは、むかしながらの神社も多数残っています。

まず最初は「心吉宮」という神社の跡地に向かいます。鳥居だけが残され、そこに至る道もとてもとおれる状態ではありません。

宮地山・在自山の登山ルート | YAMAP / ヤマップ

許斐山 - Wikipedia

許斐山(このみやま)は、福岡県宗像市王丸と福津市八並にまたがる山である。標高271m。山頂一帯には宗像氏の一族許斐氏の居城である許斐山城があった。 

背後の山「許斐山(このみやま)」は、宗像大社の社家であった宗像氏の出先で、現在も山頂には熊野権現や王子宮が存在します。今回は登山向けの格好をしてきていませんので登りませんが、後日、登山する予定です。

現在の入口は手前で左折していますが、位置的にはほぼ間違いなく、許斐山城にむかう道の入口の関所を兼ねていたとおもわれます。

おそらく孔大寺山でしょうか。麓に宗像市街がみえます。

次の「妙見神社」は石段が崩落しています。

ほかに迂回路はないのか地図や現地をだいぶ眺めましたが、なさそうです。

せっかくここまで来たんだから会いたい!( 一一)俺に怪我させるなよ!

と念じて手すりをたよりによじ登ります。

ここは江戸時代の史料では河内国枚岡社を勧請し天児屋根命を祀るとされていたそうで、天児屋根命を祀る妙見様?とアゴがはずれそうになります。すでに先行研究があり、支配者の入れ替わりでいちど天児屋根命で上書きされ、明治にはいり妙見社という社号から御神体に国常立命をあて直したのではないか、とのこと(天之御中主ではないということは、御神体はどうみても女と強弁不可だったんでしょう)。

氏子・氏神となにげにかんがえていますが、各地を歩くと折々の支配者が持ち込んだ祭祀がそのまま置いてけぼりになり、いつのまにか「おらが村の神さま」になっていった事例がかなりあります。ここはたまたま社号をもとに元に戻すことができた事例のようです(まぁ、妙見社の前はほかのものだった可能性はありますが)。

福岡県神社誌では「八幡神社」となっています。現地を訪問すると、八幡宮と須賀神社(祇園社)があり、なかなか立派なのですが、ここも江戸時代の文献には「ほんとうに昔から八幡宮なのか?熊野権現の従神宗像三御前ではないか?」という記述がある由。

国家神道が当たり前、記紀神話が実質「聖書」扱いのいまでは想像できませんが、宗像三女神より熊野権現のほうが格上と言っているわけです。

最後に、六之神社をめざします。「このみ公園」の駐車場には複数車が停まっています。おそらく全部、登山客でしょう。

登山口から徒歩2分もかからず、砂防ダム手前の丁字路に突き当たり、右が六之神社です(左が許斐山登山路です)。

意外と新しい社殿や狛犬におどろきます。

登山道入り口の案内板に(5)山津波跡とあります。

位置的にはこの神社が建っている場所です。でっかい砂防ダムがあることをかんがえても、いちどここは山崩れの被害に遭い、再建したのではないか?という気がします。

来た道を下っていく途中、車が5台停まっているところがあり、近寄って訊いてみると「名水を汲みに来た」かたがたで地元のかたではなく、「?」という顔をされます。

「兄ちゃんあんた銀行屋?学校のセンセか?」と言われたので、世間からはそう見えるんでしょう。まさか日々のわずかな稼ぎで食いつなぐ底辺労働者とは言えないので、そういう立派な仕事じゃありません、とだけ言っておきました。

今回はGPSログで2.9km、65分の散歩でした。後日、登山靴をはいて、許斐山の熊野権現を訪問したいとおもいます。

習合予定時刻5分前にご指定のロイヤルホストに到着しました。

ちなみに、ほかの皆さんがやってきたのは12時半すぎで、30分、待ちました。

歩くよりただ立って待つほうが、つらい(´;ω;`)