美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

宗像市鐘崎 葛原神社




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鳥居の扁額には「葛原宮」とあります。

屋主忍男武雄心命 - Wikipedia

『日本書紀』によって、第8代孝元天皇皇孫で、武内宿禰の父とされる人物である。

(略)

子に関して、同書景行天皇3年2月1日条では、莵道彦(紀直遠祖)の娘の影媛(かげひめ)との間に武内宿禰があるとする。また応神天皇9年4月条では、武内宿禰の弟として甘美内宿禰の名も見える。
一方『古事記』では、孝元天皇皇子の比古布都押之信命(彦太忍信命)の子が建内宿禰(武内宿禰)になるとしており、少名日子建猪心命は系譜から外れている。 

影媛 - Wikipedia

影媛(かげひめ(『日本書紀』)または山下影日売(やましたかげひめ(『古事記』)は、日本書紀や古事記に登場する上古の人物。武内宿禰の母とされている。

御祭神は武雄心命と影姫命で、日本書紀では、織幡神社に祀られている武内宿禰の両親とされています。そもそも武内宿禰じたいが複数の人物を合成した存在であり、ほんとうに武雄心命が(合成前の人物の誰かの)父親であるかどうかもさだかではありません。

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中央が神輿庫で、正面向かって右側が「天満宮」です。

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反対側が「葛原宮」です。隣にはおそらく合祀された後の残骸が、並べられています。

トップページ - 葛原八幡神社

弘仁八年(817)清麻呂公の嗣子真綱、勅使として宇佐宮へ参向の帰途、蜂ヶ坂に立ち寄り御神誨を仰ぎ八幡社を現在の地に遷し奉り、神功皇后、父清麻呂公の神霊を左右の相殿に合祀されました。

どうしても「葛原」というと、和気清麻呂公ゆかりの葛原八幡神社を考えてしまいます。ただ、元は「葛原」ではなく「国連(くつら。コクレンではありません)」ではなかったか、という見解のほうが、有力なようです。

宗像大社 公式ホームページ | 辺津宮

宗像大社 公式ホームページ | 辺津宮 摂末社 神社名及び祭神名

 8. 国連神社 [顕国玉命]
くつらじんじゃ
荒神社[素淺鳴命]、渡津神社[少童尊]、柳牟田神社[速秋津日女水神]、蛭田若宮神社[蛭子命]、人見神社[天鈿女命]

顕国玉命
うつしくにたまのみこと 宇都志国玉神と記す(記)。大国主神の別名。現実の(宇都志)国土の神霊(国玉)の意。現し国-天上という対比を前提にしている点で観念的な神格として考えられる。

そうなると、ここは大国主(大己貴)を祀る神社だったのが、どこかで御祭神が入れ替わったということになります。

いずれにしても、謎です。

福岡県神社誌:下巻387頁
[社名(御祭神)]葛原神社(武雄心命、影姫命)
[社格]無格社
[住所]宗像郡岬村大字鐘崎字一本松
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.07訪問)