松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

9月11日の日録

カメラアプリを入れ替えてみた。

「神社めぐり」に携行しているのは、iPhoneです。

iPhoneにしてから、デジカメは持ち歩いていません。

「神社めぐり」は、最終的にブログで発表するだけなので、高画質をもとめていません。よほど高精細で記録したいとおもうもの以外は、1280×720という低画質を選択しています(画像ファイルの容量の問題もありますしね……)。

「StageCameraHD2 - 高画質のカメラ」をApp Storeで

「神社めぐり」最初期のころから、このアプリをつかっていたのですが、さいきん、水平がちゃんととれているのか不安になることが増えました。

地震などの影響で鳥居や建物がかたむき水平がとれていないところも多々あります。かといって、背後の建物や道とグリッド線であわせても、どうもうまくいきません。

劣化、もとい老化でしょうか。

「シンプルカメラ高画質」をApp Storeで

いろいろ探してみると、水準器が表示されるアプリがあるようです。

さっそくダウンロードしてみました。

我が家の玄関の鉢植えで、焦点をあわせてみました。誤差の範囲内におさまると、水準器がオレンジで表示されます。便利です。

インターネットを検索していると「カメラアプリの性能差がある」という記述を目にします。ほんとうにそんなに違うのでしょうか。「StageCameraHD2」「シンプルカメラ」を含む4つのアプリを同じ解像度(4032×3024)に設定して撮影し、画像の同じところを引き延ばしてみました。
たしかにちがいますが、実用性に差がどのくらい出るかは、疑問です。

同じ機種同士ならレンズもセンサーも同じものを使用しているわけです。

むろんアプリ内部の処理能力の違いはあるかもしれませんが、画質の違いをうんぬんするより、操作性や便利さのほうが勝る気がします。

今日の運動経路(カメラ設定やらかし編)

朝6時ごろ家を出て、知人事務所に荷物を置き、古賀市内で1時間ほど「神社めぐり」をしました。

今回、たいへんな失敗をしています。

上記の比較画像撮影のためいじったまま、カメラの解像度設定を通常に戻すのを忘れていました。

いつもの4分の1の画質、完全にボケボケです。

もういっかい別日程で歩きなおそうかともおもったのですが、今日の記録はこれはこれとして、残すことにしました。

途中までひどい画像ですが、ご了承ください。

蔵本(くらもと)バス停から赤間営業所行にのり、「ゴルフ場前」バス停で下車します。

古賀ゴルフ・クラブ - Wikipedia

1947年(昭和22年)、西日本鉄道株式会社・木村重吉が、「福岡県の古賀にゴルフ場を造ろう、西鉄の土地がある」と土地を提供した。各界のゴルファーが集結し、初代理事長には木曽重義が就任した。1948年(昭和23年)5月、資金不足の中で、「福岡国際カンツリー倶楽部」サンドコース9ホール(現・インコース)が完成した。

この「ゴルフ場前」のゴルフ場とは、古賀ゴルフクラブのことです。上記のような経緯があるためか、2007年まで西鉄宮地岳線に「古賀ゴルフ場前駅」もありました(現在は西鉄新宮駅から東側は区間廃止となり、宮地岳線から貝塚線に名称も変更となりました)。

歩いて、JRししぶ駅に向かいます。最初の訪問予定地である「日吉神社」は、駅の横にある丘の上です。

最初からJRつかえよと言われそうですが、知人事務所の位置的に、博多駅まで歩くより、蔵本や呉服町バス停から路線バス乗車したほうが、だんぜん近いので……<(_ _)>

日吉神社です。現在、住居表示が実施され日吉3丁目となっていますが、元の住所は「糟屋郡古賀町大字鹿部字権現」で、ここは山王権現だったことがわかります。

訪問当日、余計な訪問客にガン飛ばしながら手水鉢の水を入れ替え、拝殿の横に座ってでかいタオルで汗を拭きつつスポーツドリンクをがぶ飲みしている老齢のかたがいました。

たしかにiPhoneで撮影しながらうろうろしてたら、じゃまですよね。ごめんなさい。

googleマップでも地理院地図でも踏切あつかいのところが、封鎖されています。そういえば先日も踏切が封鎖されていて、えらく遠回りさせられました。

みると、線路をオーバーパスする陸橋は、ずいぶん遠くに入口があります。

帰ろうかもう( 一一)7日といい今日といい、どうも運が悪い。

かなりうんざりしながらよくみると、緑の線が目につきます。

なんと、線路をアンダーパスする歩道の入口でした。上の画像で2か所、緑線があるのは、手前が階段、奥が自転車や階段がつかえないひとのためのスロープになっています。

なるほど、車は陸橋、ひとや自転車はトンネル、かんがえましたね……。

皇石(おういし)神社の手前に「沖の井戸」があります。

神功皇后が水を呑んだ井戸とされています。

皇石神社にたどり着きました。

神体は平たく巨大な立石である神功皇后は「もし新羅を征する力があればこの大石を抱え起して立てることができる」と うけひ をされたという 文政三(一八二〇)年には社名も皇石に変っている

(全文は後日「神社めぐり」に記載します)

石碑を撮影後、OCRと手で文字起こしをしないといけませんから、画像を確認していて、

あ、画質が最低になってる!(@_@)あっちゃー

と、気づきました。

ここで、もういっかい最初から歩きなおそうかとおもったのですが、それをやると帰りつく時間が読めなくなります。あきらめて、皇石神社を撮影します。

足仲彦と神功皇后の聖蹟地とあるのに、御神紋は五七桐紋です。九州王朝の紋で、五七桐は玉垂命、五三桐が神功皇后です。交錯しているというか、混濁しているというか……。

この日の最後は、古賀市役所前の古賀神社でした。数年前、古賀市役所に仕事で来たおり、JR古賀駅まで帰る途中、いちど手をあわせています。

この神社は、戦後、1952年(昭和27年)に、現在のJR古賀駅周辺にあった神社4社を「合社」したもので、境内には、合祀した神社の御神体が並べられ「合社記念碑」も建っています。

当時こういう経緯をしらず、市役所のひとに「古賀神社があるから古賀なんですか」とたずね、「いえ、ここが古賀だから古賀神社なんです」と返事をもらい、そんなことあるの?とおもいつつ、お参りだけして帰りました。

あらためて境内をながめていると、神社の由緒を書いたパンフレットまでもらえました。町中の神社を整理統合して地名を付した神社をひとつ作ったわけで、あの回答、なにも間違えていなかったんですね。

JR古賀駅にたどり着いて、今日の散歩は終了です。

JR博多駅で下車し、書店に立ち寄ったあと、トンテキ定食をいただきました。

運動してもそのぶん食うから、やせません。だめですね。

でも、美味しくいただきました。ごちそうさまでした。

今日は3.4km、1時間ちょいの散歩となりました。

「日本の家紋」

引っ越してくるまえは、家紋図鑑が書斎にあったのですが、引っ越しのさいにどこかにやってしまいました。それ以降、ずっとインターネット検索に頼りきりでした。さすがに一冊は家紋の図案集を持っておかないと、神社めぐりの解説を書くとき、困ることが多くなりました。

どれを買おうかとかんがえていたら、なんと表紙が木瓜紋です。

もう木瓜紋が表紙というだけで、九州王朝マニアとしてはこれを買わなければなりません。

ちゃんと我が家の紋も載っています。最初は違い鷹の羽紋だったそうですが、江戸時代に殿様?から拝領したのが四ツ石紋でした。

曾祖父の代で、隣近所の同姓の家にあわせて違い鷹の羽紋に戻ったようです。

「葬式の道具と衣装を借りて使いまわせるから」とさらりと言われたのには驚きましたが、べつにいま世話になっているわけでもない江戸時代の拝領紋なんて、ありがたみもクソもないからかもしれません(そりゃあ、葵の紋とか五七桐とか十六弁八重表菊だったら話もちがうでしょうけどね)。

そもそも、なんという殿様から拝領したのかも、誰もおぼえてるわけじゃないというのが、また。