松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市西区姪の浜3丁目 住吉神社


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

f:id:bifum:20220401103209j:plain

住吉神社の歴史|姪浜住吉神社|福岡市西区姪浜

なかなかに堂々とした構えの神社です。福岡県神社誌を確認すると郷社とあり、たしかに格にふさわしいつくりになっています。

f:id:bifum:20220401103230j:plain

唐津街道 - Wikipedia

長崎街道の脇街道としての役割のほか、沿線の福岡藩(黒田氏)、唐津藩(小笠原氏ほか)の参勤交代にも使用された。 

目の前の通りは、車の離合もままならない道ですが、これがむかしの唐津街道でした。

介護タクシーと3ナンバー車が、上手に他人の敷地を利用して離合する姿をみて、ジモティ以外はとてもとおれそうにないと感じます。

f:id:bifum:20220401103243j:plain

住吉神社

住吉神社は、奈良時代の天平年間(729~749年)に建てられたといわれ、古くは、北側の海岸近くにありました。室町時代の応永23年(1416年)に現在地に移転しました。航海の安全の神さまとして地域の人々に厚く信仰され、境内には、早船神社・埴安神社などの末社が数多くあります。
また、伊邪那岐の大神が「みそぎ祓い」をされるとき、河童が現れ道案内のお手伝いをしたことにより、除災招福の神の使いになったという伝承があります。

平成12年3月

神社に行き神職が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等~」と祓詞をとなえているのを聞いたことがあるとおもいます。私は、日向峠・立花山、そしてこの姪浜から近い小戸ヨットハーバーの位置関係からして、阿波岐原とはこの博多の地であり、姪浜の住吉神社も充分、イザナギさんの上陸地の候補になりうると考えています。

住吉神社の歴史|姪浜住吉神社|福岡市西区姪浜

住吉神社の起源は、奈良時代の天平十五年(西暦七四三年)九月二十九日の夜半、住吉明神のご出現があり、翌年四月十三日にも異国船来襲の調伏祈願の折にご出現され、このため一宇の小社を建立し住吉三神をお祭りしたことによります。
くだって室町時代の応永二十三年(西暦一四一六年)正月十四日夜の 御神託により、翌年八月二十九日に牛頭社地(現、住吉神社)で新社建立・ご遷座の儀式を終え、ここに住吉三神は牛頭社(現、須賀神社)と相並んで、当地の産土神として尊崇されるようになりました。

f:id:bifum:20220401103723j:plain

室町時代に住吉神社に上書きされるまで、もとはこの須賀神社(牛頭社)の社地であったようです。

f:id:bifum:20220401103743j:plain

この立派な社殿には、住吉三神、神功皇后、志賀三神、武内宿禰のみなさんがお祀りされています。過去に何度も登場した「玉垂宮神秘書」では、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)を初代住吉大明神とし、その実子・部下だった住吉五神のうち男性3人を住吉三神と呼び、実子3人をとくに少童神三神(志賀三神) と呼ぶとあります。

住吉三神のうち底筒男命は高良玉垂命(開化天皇)のことで、足仲彦(仲哀天皇)死亡後、玉垂命は神功皇后を妃としていました。

これまでにも触れたとおり武内宿禰は玉垂命を仮託した存在でもあり、この御祭神の配置だけみれば、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)こと初代住吉大明神とその勢力、なかでも玉垂命・神功皇后夫婦に重点をおいて祀られていることがわかるわけです。

f:id:bifum:20220401103401j:plain

境内社でとくに気になったのは、画像右手の早船神社でしょうか。

この姪浜には、早船姓のかたがおられます。私が大学のとき、名字がめずらしく質問したかたの実家も、たしかこの近所のはずです。

てっきり早船神社というからには、早船さんの祖先を祀るのだろうと思っていたら、御祭神には弥彦神とあります。

彌彦神社 - Wikipedia

彌彦神社(いやひこじんじゃ、常用漢字体:弥彦神社)は、新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦にある神社。式内社(名神大社)、越後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
祭神
天香山命 (あめのかごやまのみこと)

天香山命 - Wikipedia

『先代旧事本紀』によれば、天照太神の孫神である饒速日尊(旧事本紀では天火明命と同視する)と、天道日女命との間に生まれた神(天照太神の曾孫神)で、尾張氏等の祖神とされ、物部氏等の祖神である宇摩志摩治命(うましまぢ-)とは母神を異にする兄弟神となっている。『新撰姓氏録』にも見え、後裔氏族として尾張氏(左京神別等)を始め、伊福部氏(左京神別下)・六人部氏(山城神別)・津守氏(摂津神別)等を挙げている。 

どうやら、猿田彦(山幸彦、彦火火出見、饒速日:にぎはやひ)の一族を祀る神社のようなのです。

山幸彦と海幸彦 - Wikipedia

娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見神宮で楽しく暮らすうち既に3年もの月日が経っていた。山幸彦は地上へ帰らねばならず、豊玉姫に失くした釣針と、霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰い、その玉を使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせたという。

大幡主(博多のお櫛田さん)から高木大神・天照大神の入り婿になった豊玉彦(豊国主)の娘が豊玉姫で、山幸彦と豊玉彦のあいだに出来たのが初代住吉大明神である鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)という流れの傍証として、この神社は重要視してよさそうです。

福岡県神社誌:上巻70頁
[社名(御祭神)]住吉神社(住吉三神、神功皇后、志賀三神、武内大臣)
[社格]郷社
[住所]福岡市姪浜町字宮ノ前
[境内社(御祭神)]須賀神社(大己貴命、素戔嗚命、稲田姫命)、大神宮(大日霊命、天児屋根命、応神天皇)、早船神社(彌彦神)、埴安神社(埴安命)、若八幡宮(仁徳天皇)、少童神社(事代主命、犬酢芹命、少童神)、宇賀神社(倉稲魂命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.01訪問)

 

訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

4月1日の日録 - 美風庵だより