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がっちりと南京錠で施錠され、なかに入ることができませんでした。
さすがに不法侵入して警察呼ばれてはかなわないため、早々に退散しました。
『日本書紀』応神天皇9年4月条によれば、天皇の命で武内宿禰が筑紫へ派遣された際、弟の甘美内宿禰が兄を廃そうとして天皇に讒言し、天皇は武内宿禰を殺すため使いを出した。しかし、武内宿禰と容姿がよく似ていた壱伎直祖の真根子が武内宿禰の身代わりとなって自刃した。その後、武内宿禰は朝廷に至って天皇に弁明し、甘美内宿禰との探湯の対決を経て疑いを晴らしたという。
一方「松尾社家系図(歌荒洲田卜部伊伎氏本系帳)」では、真根子命は神功皇后の三韓征伐で父(雷大臣命)に従って三韓に至ったとする。そして征伐後は壱岐島に留まり、その子孫は本姓をもって中臣氏または卜部氏、または地名をもって壱岐氏を称したとしている。
伝承では、実の兄弟による殺し合いの被害者として描かれています。
ただ、これまで「神社めぐり」で取り上げてきたとおり、武内宿禰は複数の人物をひとまとめにした存在であり、少なくとも本物の武内宿禰、高良玉垂命、崇神天皇がごっちゃになっています。
中臣氏の祖であるなら、この武内宿禰とは崇神天皇のことで、九州王朝と現王朝側でいさかいがあり、その被害者だったと考えることもできそうです。
福岡県神社誌:下巻380頁
[社名(御祭神)]真根子神社(壱岐真根子宿禰)
[社格]無格社
[住所]福岡市姪浜字下野間
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.01訪問)