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高良山は天台宗の座主と、神職である大祝、大宮司ら(三者を高良三職という)を中心に運営されていた。今でも高良山町内には神道をまつってある家も多い。
高良山についての文献を読むとき、仏教面での代表者である「座主」、神職である「大祝」「大宮司」が存在したことをまず頭にいれておく必要があります。
ここは大宮司邸があった場所です。
同吊の神社は国府跡などに奉祀されていることが多く印は国印、鑰は国倉の鍵を指すものと思われるが、ここでは高良山の宝印と、社殿の鍵の意であろう。またこの社の創祀は、高良山の大宮司(宗崎氏)がここ宗崎に移り住んだ天文年間(一五三三~一五五四)中以降と思われる。(古賀寿著『高良山の史跡と伝説』より)
それはいつ頃かというと、江戸時代より前なのです。逆によくお堂が残ったものだと感心してしまいます。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.11.06訪問)