松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

久留米市日吉町 日吉神社


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こちらの神社は、久留米宗社を名乗っておられます。宗社とは宗廟(そうびょう)といった意味で、この神社では地主神の意味で使っておられるようです。

久留米の大神さま | 久留米宗社 日吉神社

久留米宗社日吉神社は、平安時代のおわり治承年中(1177年~1181年)に久留米の土豪 松田庄左衛門が笹山という場所を開き、その館の守護神として祀られていたと伝えられます。この松田の館後には、高橋某、豊饒永源、高良座主良寛の弟麟圭、小早川秀包、田中吉信、久留米藩主有馬家が居城し、当社は地主神として有馬家二代藩主の正保4年(1647年)まで笹山の地に御鎮座されていました。
明治時代に藩主有馬家を称え御創建された篠山神社の文書には、『御本丸地主神坂本山王宮ハ秀包城普請ノ時今ノ御厩ノ地二移サレ、豊氏公御入部後、十間屋敷二移サル、其注連松ハ北御門前井戸脇ニアリ、枝葉等風折有之時ハ坂本宮社人永田氏祓ヲ修シテコレヲ拝受ス(閑暇箒木)』(豊臣秀吉より久留米領地をあたえられた小早川秀包<毛利秀包>が、久留米城修築のときに現在の二ノ丸<秀包時代の本丸>に日吉神社を移され、有馬氏が新城郭普請のときに現在地の日吉町に御遷座される)とあります。

もともとは現在の篠山神社(久留米城址)に創建され、歴代領主に祭祀が受け継がれていったが、江戸時代初期に有馬の殿様が入府、久留米城を全面改築するにあたり、現在地に移転したものとあります。

むかし、「高良玉垂宮は国府があった場所に位置しており、あちらは一之宮だが、地主神が日吉神社・比叡山とはいかに?」といった質問をしてしまい、説明をうけたのですがさっぱりちんぷんかんぷんだったことがありました。

いまにしておもえば、高良玉垂命が開化天皇(わかやまとねこひこ)で神武天皇(かむやまといわれひこ)の血筋だったとすれば、元から高良山に陣取っていたわけではないことがわかります。彼は南下してきて、高良山を拠点とし、筑後を支配したのです。それ以前から住んでいたひとたちがほかの祭祀を持っていても、まったく不思議ではありません。

三井郡大刀洗町春日 高良坂本神社(坂本宮) - 美風庵だより

ただ、一点言うなら、坂本山王宮の坂本がほんとうに大物主(大山咋)であったかどうかは、検討してよいかとおもいます。玉垂宮神秘書には、高良玉垂命の9人の子がしるされており、なかに坂本命の名もあるからです。

個人的には、坂本山王宮とは坂本命を祀るお宮だったのが、後世、大物主(大山咋)を祀る神社に上書きされ、逆輸入されたのではないかと疑っているのですが、まだ確証はありません。

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境内にはほかにも複数のお宮があります。画像正面向かって左手が大乗院稲荷神社で、右手が産霊宮(うみのみや)です。私が訪問している最中にも、御婦人がたが複数、車で乗り付けてお参りされていましたから、子宝の神様として、地域では絶大な信仰があるようです。

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三つ巴紋に銀杏をあしらった御神紋です。

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えんむすび・子授け・安産 | 久留米宗社 日吉神社

昔々仲のいい百姓夫婦がいました。
なんとか子供を授かりたい夫婦は、村の古老に相談すると銀杏の木にお参りしなさいと言われました。
夫婦は言いつけどおりに銀杏の木に手を合わせていました。
すると銀杏の後ろから精霊が現れ「銀杏の実を毎日三つ食べなさい」と教えられたそうです。
それから毎日三粒づつ銀杏の実をいただいていました。
次の年には大願成就、玉のような元気な男の子を授かったそうです。
仲良く四百年以上も雌雄並び毎年多くの実を産み結ぶことから、『結びの木』として縁むすび・子授け・安産の御神木と仰がれています。

どうやらこの夫婦銀杏という御神木に由来する御神紋のようです。

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境内にはほかにも、月読宮があり、その向かって右手に、佐田社、天満宮、稲荷社、えびす様、大神宮が並んでいます。

月読命(大山祇)に、花菱紋を充てているのが気になります。崇神王朝が九州王朝関係者を祀り上げた神宮でも使われています。これは九州王朝の御紋章です。

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ふと気になり石祠の御神紋をひとつずつ確認すると、天満宮が三階松だったりします。三階松は北野天満宮や老松宮でももちいますが、もとは宮地嶽であり、高良玉垂命となる前の藤大臣阿部相凾の紋章(=開化天皇の紋章)です。

ほんとうにここは大山咋を祀る日吉神社で正解なのでしょうか?

坂本命を祀る坂本山王宮では?

福岡県神社誌:中巻145頁
[社名(御祭神)]日吉神社(大山咋命)
[社格]郷社
[住所]久留米市篠山町二丁目
[境内社(御祭神)]伊勢神宮遙拝所、稲荷社二宇、佐田社、天満宮
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.02.20訪問)