松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

これは言いがかり。まるで私の妄想のように飛躍しすぎ。

『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状 | 文春オンライン

石井 この童話の内容は、狐のごんはいたずら好きで、兵十という男の獲ったうなぎや魚を逃してしまっていた。でも後日、ごんは兵十の家で母の葬儀が行われているのを目にして、魚が病気の母のためのものだったことを知って反省し、罪滅ぼしに毎日栗や松茸を届けるというストーリーです。
兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。

彼が問題としている部分の原文は、以下のとおりです。

ごんぎつね 全文

こんなことを考えながらやってきますと、いつのまにか、表に赤い井戸がある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、おおぜいの人が集まっていました。よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐずにえています
「ああ、そう式だ。」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう。」

これは子供たちにこの質問をする教師が馬鹿なのだとおもいます。

いまどき、だれか死ねばつきあいのある葬式屋に連絡をとり、あとは葬式屋の段取りですすんでいくのが普通です。お斎の食事も葬式屋が仕出し屋から弁当とってテーブルに並べ、吸い物も具だけがはいったお椀に、ポットで保温した汁を上からかけて横に並べるだけ。もっと都会(春日市内)だと、永谷園の即席お吸い物がついてきて、お湯の入ったポットが巡回してきます。

手伝ってくれるひとのまかないも、若いひとほど、めいめいが近所のお店に食いに行きます。弁当要らないといってコンビニに行き、サンドイッチをパクついてスマホで動画ながめている時代です。ともに食事をして死を悼むという発想すら崩壊しています。

すでに(お斎でもまかないでも)メシをつくる場面と葬式は、切り離されているのです。

私(齢50の団塊ジュニア世代)が、たぶん包丁振り回してニワトリを締め、本家(または分家)筋の家の台所を借りてがめ煮をつくり、鍋ごと葬式やっている家に運びこみ、盛り付けてお斎を出したり、手伝ってくれる方のまかないを出したりした最後の世代でしょう。実家の周囲では慶弔問わず煮物はがめ煮でした。

いま住んでいる甘木のこの地域でも似たようなものです。

80過ぎの長老いわく、各地に葬式場ができるまえは、葬式本体は各自の家でやるけれど、必要な準備や手伝いのまかない、お斎の調理は、よほど大きな屋敷でないかぎり、地元管理の神社の社務所と台所を借りてやっていた、と言います。

「神社で葬式やってるようなもんよ。へたすりゃ坊さんの着替えまでここでやってたんだ」と笑います。

では、いまの小学生、こんな世界があったこと、知っているでしょうか?

葬式が集落みんなで送り出すものなんて、小学生はおもいもしないでしょう。じっさい、葬式は葬式屋がやるものくらいにしか、かんがえていないはずです。

むかし、親戚の子供から、実家の集落にある墓地で「どうしてほかの家の墓と混じっているのか」と質問されました。私は、集落の墓地は共同のもので、集落の他家の承諾をもらって空いたところに墓を建て、空きがなくなれば新しい墓にまとめ直すか、いよいよ旧くてわからないものは、掘り返して墓地の隅に積み上げてきたのを知っています。いまの子供はさきに「所有権」をならいますから、こういう説明を丁寧にしてあげないと「みんなのもの」という概念がまずわかっていません。

そういう子供と子供の親を、はんぶんいたづら心もあって、墓地の隅に積み上げられた壺や甕があるところに連れていき、むかしは土葬で、死んだらこういうのに押し込んで、墓の下に埋めていた話をすると、反応はさまざまです。

若い親には、嫌悪感を示す者がいます。

死ねば土に還るという発想がないため、腐ったままのバイキンの巣と勘違いするのです。そして妙にネットの情報だけはしっかり吸収していますから、身体が死んでもウィルスが生き残り、感染するだのなんだのと言いだします(笑)そりゃ死にたてピッチピチの話だろ、って……。甕に入れて土葬という直近の風俗は知らないくせに、ペストだ病原菌だと、そういう知識は、いっちょまえだったりします。

たぶん、嘆くべき対象は、ごんぎつねを子供が理解できないことではなく、すでに失われた時代背景を伝えられないこと、わかっているものとおもいこんでしまっている自分自身だとおもうのですけどね。何件か親せきの葬式行って、若者や子供たちがどう行動しているかみりゃ、わかりそうなもんです。