遅いチェックアウト。昨日のお礼
iPhoneとBluetooth接続の外付けキーボードで演奏会の感想など日記の文章をまとめ、寝て起きたら5時でした。それから神社めぐりの準備などをして、9時すぎにチェックアウトしました。
途中、ブラウンの乾電池式電気カミソリで、ひげ剃りをします。日立のロータリーシェーバー亡きいま、乾電池式でもっとも剃れる電気カミソリは、おそらくこれです。ただ、円安の影響で価格が倍以上に跳ね上がっており、いまの時点で新規購入するのは、少々微妙かな?という気がします。
昨日のお礼に、ふたたび穴守稲荷に立ち寄ってから、電車に乗ります。昨晩なかにはいれなかった狐塚で手をあわせます。福徳稲荷のキツネさんもだいぶ傷んできました。修復する費用ってどのくらいかかるんでしょうか。
御守りに入れる種籾を収穫するため、境内には田んぼがあります。昨日、おみくじを浮かべた手水鉢には、コスモスの花が浮かべられていました。
1時間ほど神社めぐりをする。
前回、2社訪問し30分ほど歩いてダウンした、川崎大師周辺の神社めぐりのつづきをしました。
今回は、京急線の川崎大師駅から出発して、3~4か所ほど訪問する予定です。
川崎大師駅を出て、川崎大師と反対側の出口を出ると、味の素の工場がみえます。この川崎大師駅の隣は鈴木町駅。地名の鈴木町は、味の素創業者 鈴木三郎助にちなみ、工場のみえる一帯は、すべて味の素グループの敷地です。
若宮八幡宮に着きました。googleマップのコメントによれば、区画整理にともない、複数の神社が境内に移転してきているとのこと。
お賽銭にする小銭がないので自販機で飲み物を買ってくずそうとしたら、新500円玉をはねられました。千円札をくずして小銭をつくります。
つづいて、川中島神明社を訪問します。
明治時代に海苔の養殖や果樹の栽培が行われた。特に、当地ではイギリスから伝わった品種の桃が初めて栽培されたほか、袋掛けの技法も当地から全国へと広まった。また、川崎大師への参拝客を見込んで、関東で初の電車となる大師電気鉄道が引かれたが、同社は東京・横浜方面へと延伸を重ねて現在の京浜急行電鉄となっており、創業の地である川崎大師への路線も大師線として営業を続けている。
どこをどうみても果樹栽培なんて跡形もありません。ノリの養殖ったって、埋め立てられて海岸線もありません。すっかり様変わりしたのですね……。
次のお稲荷さんを探すのですが、みあたりません。
googleマップの表示するとおりに歩いてみても、お宮らしき建物がない……。駐車場の奥に森があり、赤い鳥居がみえます。入り口が真反対じゃねえか……。
ぐるりとまわって、お稲荷さんに到着しました。
ここで、若宮八幡宮のなかの「金山神社」を撮影していないことに気づきます。
このあと2,3社ほどまわって前回断念した場所をぜんぶ済ませようとおもったのですが打ち切り、若宮八幡宮内の金山神社に戻ることにしました。
金山神社というからには製鉄や鍛冶師の神様のはずなのですが、この地域では「かなまらさま」として信仰があります。絵馬殿のまんなかに、鉄のちんこが奉納されています。
ながいこと神社めぐりをしていますが、童貞すてたいという絵馬はほかでみた記憶がありません。両方初体験なんてほんとうまくいかないし、神社に願掛けするまえに成人男性向け風呂屋で2回くらい稽古してから実戦したほうが絶対にいいと齢50近くなるとおもうのですが、夢は壊してはいけませんね……。
相手が百戦錬磨でうまくリードするかもしれませんし。
川崎大師駅に戻ってきました。
「京浜急行発祥の地記念碑」
川崎市:京浜急行発祥の地記念碑(けいひんきゅうこうはっしょうのちきねんひ)
この石碑は京浜急行電鉄創立70周年を記念して、発祥の地である川崎大師駅に京浜急行電鉄(株)が設置したものです。京浜急行電鉄は明治31年2月25日大師電気鉄道(株)として創設され、明治32年1月21日初めての路線として六郷橋~大師区間での営業を開始しました。開業当時の資本金は9万8千円、単線2kmで保有車両は5輌でした。同年4月大師電気鉄道(株)は京浜電気鉄道(株)と改称し、昭和23年6月に現在の京浜急行電鉄(株)と改称されました。
現在の京浜急行電鉄の元となったのは、1899年に旧東海道川崎宿に近い川崎駅(後の六郷橋駅)から川崎大師近くの大師駅(現在の川崎大師駅)までの1435mmの標準軌で開通した大師電気鉄道である(現在の大師線の一部)。同社は日本で三番目、関東では最初の電気鉄道会社であった。
いまの東京一極集中・東京がなんでもいちばんで当たり前の時代からは到底かんがえられませんが、関東より先に電車が走ったのは、京都です。
日本最初の電気鉄道である京都電気鉄道株式会社の伏見線は,明治28(1895)年に開業し,この地を起点として伏見町下油掛までの約6kmを走った。この石標は,電気鉄道事業発祥地として伏見線起点を示すものである。
じゃあ2番目はどこなんだ?とおもうのですが、さすがに調べてみないとわかりません。
歩いた経路
3.2kmを1時間かけて歩きました。じつはまだ事前に作成したリストの半分も消化できていません。後日、残りも順次訪問していきたいとおもいます。
今日も回鍋肉定食。
北九州空港から小倉駅まで連絡バスでもどり、知人事務所に顔をだすまえに、今日も松屋で回鍋肉定食をいただきました。前回はタレが多すぎたのですが、さすがに供食する数もこなしてバイトさんが慣れてきたのか、今回はいい具合の味付けです。
ごちそうさまでした。