松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

久留米市篠山町 篠山神社


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篠山神社 | 久留米城本丸址鎮座

久留米藩の藩主を祀る篠山神社を訪問するのは、一体何年ぶりでしょうか。

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入口の坂に、ここが久留米城址である旨の案内板があります。

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篠山神社 | ご由緒記

久留米城は廃城となり建物は破却され、陸軍省管轄となりました。政府は民間払い下げを行い、日田の豪商が買い取って石垣の巨石を運び出すところまで計画されていましたが、実業家の緒方安平氏(実業家・石橋正二郎氏の祖父)が買い受けて阻止し、何とか城跡の形を留めることができました。久留米の有志達は、この城跡が再び実益に基づいて利用されてしまうことを避けるために思案し、城郭になる以前から神聖な場所と崇められていた本丸址のこの丘は、神社こそあるべき姿と捉え、明治10年(1877)、二百五十年の藩政の中でもとりわけ名君の声高い初代豊氏公、十代頼永公を御祭神として御霊社を建立しました。二年後の明治12年(1879)、県社に列せられ、その後七代頼撞公、十一代頼咸公、十四代頼寧公が祀られ、御祭神は五柱となり現在に至ります。

現在、篠山神社として利用されているのは本丸部分のみで、残る二の丸・三の丸は、ブリヂストンとアサヒシューズの工場になっています。むかしからどういういきさつがあってこうなったのか謎ではあったのですが、このような経緯があって、神社と石橋家(ブリヂストン、アサヒシューズ)になったのですね……。

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拝殿と本殿の間には渡りがあり、中庭もあります。さすが人間を祀る神社だけあって、神社のかたちはしていますが、プライベート(社殿)と他人に面会する仕事場(拝殿)がきっちり隔てられています。

由緒 舊久留米藩主有馬家祖先元和就封以来殆ど三百年愛民之情深く始祖有馬豊氏及び有馬頼永治封功績不少士民等筑後国御井郡篠山町字六丁目舊久留米城址に社宇建設之義明治十年七月二十五日許可同十二年七月十五日社号を篠山神社と称し社格を県社に被列、同年十一月十五日落成鎮座。
明治三十二年六月九日六月九日有馬頼咸合祭許可同四十五年三月十九日有馬頼撞合祀許可尚社説に曰く筑肥平野の中央に鬱然蟠居して眺望五洲に及び、遠望丘巒長川広野指顧の間に連互参錯して、座ろに堤封二十一萬石、雄藩の昔を偲ばしむるもの之れ久留米藩篠山城本丸の址即ち篠山神社の神域とす。藩祖入封以来、歴代の藩主愛民の情深く士民其の徳澤に浴し追慕の念措く能はず明治十年宮許を得て此処に社殿を建立し、舊藩内一市四郡の崇敬今日に至る。
筑後の巨川筑後川は碧波滔々長堤桜樹の下を流れて城涯の裾を洗ひ、白帆の影、流筏の姿趣掬すべきものあり、東北遥かに賽満英彦を神峯の望み、東は高良、屏風の連峰に対し、西背振天山の脈を控へ、北方遥かに雲仙の霊峰を望む。境内三千八百七十七坪城壁現存し、土地高燥樹木鬱蒼として森厳を極む。
三大祭の外、士民の主催に係る藩祖入域記念祭に、武道奉納の殷盛を極め、五月九日の当日は境内悉く武道の一大修羅場となる其の名遠近に洽し。
例祭日 4月3日
神饌幣帛料供進指定 明治四十年一月十九日
主なる建造物 本殿、拝殿、神饌所、社務所、宝物庫
主なる寶物  御祭神の書画其他
境内坪数  3877坪
氏子区域及び戸数 崇敬者区域舊久留米藩内一市四郡(久留米市、三井郡、浮羽郡、三潴郡、八女郡) 約八萬戸

福岡県神社誌の該当部分を抜粋しました。面白いことに、旧久留米藩領内を崇敬者区域と記載しています。ということは、この神社、氏子区域をもっていないことになります。

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有馬の殿様が久留米に入府するまえの殿様だった小早川秀包を祀る小早川神社がありました。

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島原の乱の戦死者を祀る篠根神社です。

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境内をぐるりと巡ったあと、拝殿にふたたび近づいてお参りさせていただきました。

お参りしたあとに1枚、画像を撮影してみました。

参拝するさいの目当てとなる御神鏡の位置が絶妙です。

ちゃんとどこをみてお参りするべきか、しっかり考えて設置されています。

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佐賀県鳥栖市下野町 水天宮 - 美風庵だより

佐賀県鳥栖市下野町 老松宮 - 美風庵だより

境内から筑後川を眺めることができ、ふと目をやると、安徳天皇が隠棲した伝承がある下野水天宮がみえました。

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授与所・社務所の横に、石橋家が寄進した茶室があります。まだ学生のころ、見学させていただいたことをおもいだしました。

福岡県神社誌:中巻140頁
[社名(御祭神)]篠山神社(従四位 有馬豊氏、従三位 有馬頼撞、従三位 有馬頼永、従三位 有馬頼咸)
[社格]県社
[住所]福岡県久留米市篠山町六丁目
[境内社(御祭神)]笹根神社(島原の乱の戦死者稲次豊次以下三百八十の神霊を祀る)、松ヶ根神社(北川坂右衛門外戦死者の霊を祀る)、奥庭神社(享保宝暦の農民騒動を鎮撫せし稲次因幡有馬石見の霊を祀る)、小早川神社(有馬公以前の城主小早川秀包の霊を祀る)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.02.20訪問)