美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

福岡市博多区吉塚1丁目 秋葉宮・吉塚地蔵堂




大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

f:id:bifum:20220216154628j:plain

吉塚駅東口近くに、秋葉宮と吉塚地蔵堂があります。鳥居があるのが秋葉宮で、福岡県神社誌に記載はありませんが、おそらく軻遇突智命を防火の神様として祀っているものとおもわれます。

f:id:bifum:20220216154728j:plain

同じ敷地内に、吉塚地蔵堂(吉塚地蔵大菩薩)があります。

f:id:bifum:20220216154744j:plain
f:id:bifum:20220216154754j:plain

立花山城の戦い - Wikipedia

島津軍が立花山城を包囲している最中に秀吉配下の毛利軍が豊前の小倉城に進軍。止むを得ず島津軍は撤退をする。宗茂は、直ちに立花山城から兵を率いて出撃。高鳥居城に留まっていた島津配下の星野鎮胤・鎮元兄弟を討ち取って高鳥居城を攻略した上、勢いに乗って宝満城と実父・紹運が自刃した岩屋城も奪還したのだった。この戦いにより、島津軍は九州統一を断念せざるを得なくなった。

この星野鎮胤・鎮元兄弟のまたの名を星野吉実・吉兼といいます。後詰、つまり玉砕覚悟で本隊が撤退するための時間稼ぎを命ぜられた二人をあわれみ、立花宗茂が二人の首をこの地に葬り、「吉実塚」がなまって「吉塚」となったと伝えられています。

星野氏(星野氏ホーム)

天正十四年豊臣秀吉の九州仕置に際 し、島津義久と共に、豊筑の間に出張防戦す。時に義久は薩摩に帰り星野鎮胤(吉実)、弟鎮元(吉兼)をして筑前 高鳥居城を守らしむ。秀吉は立花左近宗茂並びに中国の兵を加え攻めしむ。兄弟能く戦いしも衆寡敵せず城将に危し人あり吉実、吉兼兄弟を説くに速に降伏せんことを以てす。曰く、今吾々降伏せば島津氏に対して約に違う、潔く義死するに加しし。敵前石上に据座し割腹自刎す。世人其の義勇を歎称し、其の跡に塚を築き吉塚と云う。今地名となれり塚は博多駅から一駅の吉塚駅の東にあり。

ただ、どうやらべつの伝承もあるようです。

この文面を読むかぎりでは、山のなかにたてこもったのではなく、打って出て衆寡敵せずかなわぬとみて自刃した場所がこの地蔵堂のあたりということになります。 

 

岳城山(2022.2.13)[13時5分〜17時20分] / ホリケンさんの四王寺山・大城山・大原山の活動データ | YAMAP / ヤマップ

筑前 高鳥居城-城郭放浪記

高鳥居城という名前はみたことがあってもどこにあるのかすらじつは知らなかったのですが、若杉山や須恵町の近くなのですね……。

ぜひ一度登ってみたいものです。 

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.02.16訪問)