美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

7月24日の日録

openSUSEのインストール作業

詳細は別の項目にしました。

openSUSEでセカンドマシンをつくる。 - 美風庵だより

iPhoneをつかうようになってから、パソコンは重いのでずっと持ち歩かないようにしていたのですが、現場などをうろつくようになると、さすがにiPhoneでは心もとない状況となってきました。

というわけで、久しぶりにLinuxをインストールしたセカンドマシンを準備することにしました。

日本openSUSEユーザ会 (@opensuseja) / Twitter

Geeko World : openSUSE & SUSE Linux Enterprise に関する情報

ほんとうに久しぶりにこういうホームページをながめ、いろいろ進化はしたのだけれど、基本はかわらない安堵感を感じつつ、作業をすすめました。

3月Webサイト向けLinuxシェア、Debian増加 | TECH+

しかし、いくらWEBサーバ向けマシンのシェアとはいえ、ほとんど雑魚扱いですね。Ubuntu一強体制ですなぁ……。いつまで続くかはしらんけど。この世界、栄枯盛衰すごいですからね……。

あさかつ。

パソコンの設定を途中で切り上げ、着替えて小倉の知人事務所に行きました。

7月10日の日録 - 美風庵だより

2週間前大惨事を引き起こしそうになり、7月10日にまわりきれなかったお宮の一部を訪問しました。今回は、1.6kmを44分かけて歩きました。

サンデン交通さんの「海響館前」バス停から歩きます。

海響館前バス停は日本生命ビルのまえにあるのですが、隣が明治安田生命ビルだったりします。この明治安田生命ビルの敷地に、なにやら石碑があります。

「日本銀行西部支店跡地」の碑です。

明治時代から昭和初期にかけて日本銀行総裁、 大蔵大臣、 内閣総理大臣を歴任した高橋是清 (たかはし これきよ)は、 日本銀行2番目の支店である西部 (さいぶ) 支店の初代支店長として、 明治26年 (1893年)に下関に赴任し、金融・ 財界人として歩み始めました。 西部支店は、 関門海峡を望むこの一角にありました。言うなれば、ここ下関は銀行家・ 是清誕生の地です。

日本銀行西部支店開設から120年目にあたり 「下関と 「是清の縁」 を長く記念し、 偉業をたたえ、 その功績を広く 後世に伝えるため、ここに顕彰碑を建立します。

支店の歴史|日本銀行下関支店

日本銀行は、1882(明治15)年10月10日に開業、同年12月18日には大阪支店を開設しました。西部(さいぶ)支店は、大阪以西の金融が円滑に行われるように、大阪に次ぐ西日本で2番目の支店として設置されました。
西部支店は、広く「大阪以西金融の便を謀る」という設置目的に沿って門司におく計画だったのですが、当時の門司はまだ鉄道が開通したばかりで、市街地が形成されていなかったため、当分の間は、門司と同一経済圏を形成していた赤間関市(あかまがせきし)(現下関市)に支店をおくことになりました。
こうして西部支店は、1893(明治26)年10月1日、「赤間関市西南部町(あかまがせきし にしなべちょう)52ノ1」に開設され、翌2日から営業を開始しました。初代支店長は高橋是清(後の第7代日銀総裁、第20代内閣総理大臣)、総員14名の小世帯でした。

まさか100年後に、目の前の海を埋め立てて水族館が出来るとは、高橋さんも予想してなかったでしょう……。

さらに歩くと、下関市役所の堂々とした建物がみえます。最初の1社目 大国神社は、下関市役所の手前にあります。

大国神社です。元がどうだったかは知りませんが、人工地盤の下は駐車場などがつくられ、神社と社務所は、2階にあります。

地理院地図では道があることになっているのでそちらに向かうと、なにやら怪しい雰囲気がします。(もしかして墓地か?)(まさか墓地のなかを横切るとかそういうのじゃあるまいな?)と疑惑をいだきはじめたころ、ふと振り向くと赤い鳥居がみえました。

やっぱりお稲荷さんです。お寺の敷地内にありました。

お稲荷さんにお参りしたあと、ほとんど藪になりかけている道をなんとか歩きます。

途中にさらに石段があり、上も更地になっているところをみると、どうやらこのあたり、家があったのではないか?という気がします。

やっとこの歩道をすり抜けていくと、自治会の掲示板がありました。ということは、この道、生活道路なんですね……。さらに石段を登ります。

菅原神社がありました。

時間の都合があるため今回はここで終了とし、小倉に戻る予定だったのですが、googleマップをみていると、「旧下関地方気象台跡」というのが目につきます。

ふたたび石段を登ります。息切れしてきました。途中、庭木の剪定をしていた男性から、声を掛けられました。「地図で旧気象台とあったのですが、この先ですか?」と質問すると、「この坂を登り切った、民家と空き地があるところに昔あった」とのこと。

どうやらこれのようです。

下関地方気象台

明治19年(1886) 3月 下関測候所を移設(赤間ヶ関区関後地村字八ヶ迫山頂:現在の下関市名池町

昭和53年(1978)12月 下関地方合同庁舎に移転(下関市竹崎町4丁目6-1)

いまから約45年前に移転するまで、この場所に気象台がありました。明治19年(1886年)に移転してきて約90年、ここが山口の気象観測の拠点だったことになります。

すこし高台になっているため海もよくみえます。

ただ、さえぎるものがすくないため、風もけっこう吹きます。気象台が平野にあるべきなのか、高台にあったほうがよいのかわかりませんが、街中よりも風速は高くでていただろうなという気はします。

小倉に戻り、お昼はいつものとおり、松屋で牛丼をいただきました。