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宇佐殿という名前が気になります。
宇佐殿
宇佐殿は、筥崎宮の境外末社で、宗像三女神を祀っており、米山弁財天ともいいます。その由来は、この地にて神功皇后の三韓出兵の際、糧米(米俵)を山積みにした故事により、この近辺を米山町といいました。その後、弁財天様を祀りました。例祭は、4月29日に行われます。
その昔、この社から海浜に向かって一条の道があり、そこには大唐街があったと言われています。鳥居は、天保14年(1843年)建立されました。
地蔵尊石塔は、南北朝時代の足利尊氏と菊池武敏とによる多々良浜の合戦において、激戦のため続出した死者を弔うために、多々良川河畔等に多くの石塔が建てられたときのものです。その後農地改革等により、その一部が移され祀られるようになりました。例祭は7月24日に行われます。
宗像三女神とは、海を守る神様で、長女は、田心姫神、次女は、市杵島姫神、三女は、湍津姫神です。この三姉妹は、宗像大社の沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(総社)にそれぞれ祀られています。市杵島姫神は弁財天様と呼ばれており、楽器の琵琶を持っていることから芸能の神様として慕われています。
箱崎三山
この米山と同様に同時期、神功皇后のゆかりの地として、武具を集積した場所として道具山(皇后が楯の板を埋めたといわれている。馬出の寺中には道具山神社がある。)、さらに艦船の出航(重心を保つ)に必要な砂を集積した真砂山(箱崎の武内通りに跡地あり)があり、兵站基地を形成していました。
福岡市東区役所/箱崎校区自治協議会
もとは弁財天なら厳島神社になりそうなものですが、ここでは「宇佐殿」とされており、御祭神のメインがもともと違っていたのはあきらかです。
これは以前にも掲載させていただいた想定系図の一部ですが、おそらく筥崎宮側は、湍津姫(玉依姫)に関連する場所だという位置づけなのでしょう。ただ、民間信仰としては弁財天のほうが有名ですから、どこかですり替わったのかもしれません。
ここにも、多々良浜の合戦の供養塔が、まとめて安置されていました。おもわず手をあわせます。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.02.13訪問)