松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

春日市春日1丁目 春日神社


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

この「神社めぐり」シリーズは、最初は鳥居の写真を配置するようにしていますが、今回は、まず、案内板と福岡県神社誌の画像を並べます。

f:id:bifum:20220206152454j:plain

春日神社

祭神

天児屋根命
武甕槌命
経津主命
姫大神

由緒(縁起による)

天智天皇皇太子としてこの国におわします時、この地に天児屋根命を祀り給える神籬の跡と言い伝う

神護景雲二年(七六八年)藤原田麻呂太宰大弐として太宰府に在りし時、大和国春日より、武甕槌命、経津主命、姫大神の三柱をこの神籬に迎え併せ祀り、社殿を創建して春日大明神と称え奉る

天正十四年(一五八六年)島津勢の兵火にかかり、社殿、末社、宝蔵、古文書等一切が焼失した。

寛永四年(一六ニ七年)知行領主黒田美作一成により社殿が再建された。その後元禄九年(一六九六年)に改築されて現在に至る。

鳥居は宝永七年(一七一〇年)黒田美作一利により奉納されたものである。

例祭

四月十五日 春籠の祭
七月十五日 夏籠の祭
十月十日 秋季例大祭(宮座)

婿押し祭り

一月十四日夜 重要無形民俗文化財(国指定)

f:id:bifum:20220206195905p:plain

見比べるとわかりますが、現在の案内板と、戦前発行の福岡県神社誌で御祭神が異なります。

(1)天児屋根命は、共通しています。武御雷神と武甕槌神はともに「たけみかづち」で、表記のゆれと解釈できます。この2柱は、同じ人物です。

(2)経津主命と斎主命もまた表記のゆれと解釈できます。

経津主神 - Wikipedia

経津主神(ふつぬしのかみ、正字:經津主神)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。別名はイワイヌシ(イハヒヌシ)で、斎主神または伊波比主神と表記される。

(3)残るのは姫大神ですが、天児屋根命の妻と解するかどうかで、解釈がわかれます。福岡県神社誌は、天照大神(卑弥呼)をあてており、ここに食い違いがみられるのです。

f:id:bifum:20220206203111p:plain

これまでの「神社めぐり」で得た各地の伝承等から想定した系図を掲載します。

現在の春日大社や春日神社の御祭神を前提とするなら、天細女(あめのうずめ)さんを前夫と再婚相手が取り囲むことになります。そしてこの解釈だと、春日大社の若宮社が天押雲根命(あめのおしくもね)を祀るとしている点も理解は簡単です。天押雲根命とは、天之忍穂耳と天細女の子 御年神にほかなりませんし、彼は藤原氏の祖だからです。

言い換えるなら、子供からみて、かあちゃんと、再婚相手(義理の父)と実父を祀る関係です。

福岡県神社誌では姫大神ではなく天照大神としていますから、経津主の母子を祀ることになります。天照大神・山幸彦・海幸彦と、九州王朝の中核メンバーが揃います。

春日神社といいつつ、本家の春日大社とずいぶんと意味合いがかわります。

福岡県神社誌では若宮社に手力雄命をあてています。手力雄命とは、スサノオさんのことです。

春日神社について | 【公式】福岡 春日神社。春日の婿押し祭りや地鎮祭などの神事のご案内。

~若宮社(末社)~
太刀雄命(タヂカラオノミコト)
太玉尊(フトダマノミコト)

公式ホームページでは太玉命も祀るとしています。太玉命とは豊玉彦(豊国主、豊前坊、思兼命、やたがらす)ですから、若宮といいながら、一世代上の神々を祀ることになります(若くない……)。

いまの春日大社のほうが、祭神が整理され、意味が通じやすいのは言うまでもありません。

春日大社 - Wikipedia

奈良・平城京に遷都された和銅3年(710年)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まるとする説もあるが、社伝では、神護景雲2年(768年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって春日社の創祀としている。

春日神社 (春日市) - Wikipedia

発生は古くこの地に中大兄皇子が天児屋根命を祀ったことに始まると伝えられる。四神を祀る神社としての春日神社の起源は藤原田麻呂が大宰大弐として大宰府にいた神護景雲二年(768年)にさかのぼる。藤原家の祖神たる天児屋根命がこの地に祀られていることを知った田麻呂は、自身の故郷である大和国春日の春日大社より武甕槌命、経津主命、姫大神の三柱を神籬に迎え祀って春日大明神として社殿を創建した。 

春日大社とこの春日市の春日神社は、双方とも同年の創建としています。

すると考えられるのは、中央の春日大社も、元は春日市の春日神社同様、九州王朝から現王朝への実権移行を示す神社だったのではないか、ということです。そして若宮社は、藤原氏の祖先である御年神(天押雲根命)を祀るものではなく、独立した「若宮社」だったのではないか、と考えられます。この場合の若宮とは、玉垂命の子 仁徳天皇だったのかもしれません。

新たな祭祀で上書きするにあたり、名前だけを残し、祭神を入れ替えたのではないでしょうか。

f:id:bifum:20220206152155j:plain

御神池のさきで、参道は中央を路線バスがとおる市道で分断されています。

f:id:bifum:20220206152411j:plain

f:id:bifum:20220206152626j:plain
f:id:bifum:20220206153510j:plain

社殿は1997年(平成9年)に改築されたものようです。なかなか立派な構えをしています。

f:id:bifum:20220206153703j:plain

さすが藤原氏の神社、御神紋でわかります。

f:id:bifum:20220206153552j:plain
f:id:bifum:20220206153613j:plain

社殿向かって右手に若宮社があります。ここにはほんとうは誰が祀られているのでしょうか?

f:id:bifum:20220206152534j:plain

春日の婿押し

福岡県無形文化財 昭和三十四年三月三十一指定(国指定により県指定解除)
重要無形民俗文化財(国指定) 平成七年十二月二十六日指定

婿押しは、数百年の歴史を経ると伝えられており、古来から一月十四日夜、春日神社氏子中、三期組合が中心となって行う年中行事です。
前年に結婚した新郎・新婦を宿(公民館)で披露し、婿を拝殿と境内で、「祝い歌」を歌いながら揉み、最後に若水をかけて祝福する行事と、五穀豊穣と開運を願っての樽せり、さらに農村社会のさまざまな伝承行事が複合された、全国的にも珍しい貴重な民俗行事です。

主な行事の順序と内容
1 左義長点火
2 宿の行事(花婿挨拶・花嫁熨斗出し・前酒・婿と婿抱きの盃)
3 樽せり
4 お汐井取り
5 婿押し(婿揉み)
6 若水祝い
7 千秋楽

春日市教育委員会 

f:id:bifum:20220206152817j:plain
f:id:bifum:20220206152827j:plain

境内のクスノキは天然記念物に指定されているそうで、案内板がありました。とくに「3号木は2本の樹木が癒着し、一体となっている」そうで、まさか背後にあるとは気づかず、境内をうろついて探し回りました。

f:id:bifum:20220206153239j:plain

これが複数のクスノキの根っこが癒着したもののようです。いったいここまで育つのに何年かかっているのやら……。

福岡県神社誌:中巻43頁
[社名(御祭神)]春日神社(武御雷神、天児屋根命、斎主命、天照皇大神)
[社格]県社
[住所]筑紫郡春日村大字春日字上居屋敷
[境内社(御祭神)]若宮神社(手力雄命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.02.06訪問)